コンボイス:リレー連載『リジツレ』第3回


◆リレー連載『リジツレ』◆
コンボ理事のみなさまはそれぞれの分野において第一線で活躍している方々です。
「リジツレ~理事の徒然~」は、そのようなみなさまの人となりが垣間見えるような、アットホームな雰囲気のエッセイをリレー連載するシリーズです。

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第3回『私がメンタルヘルスにかかわることになったきっかけ、思い出』
矢部滋也さん(一般社団法人北海道ピアサポート協会 代表理事)
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(ピアデザイン@札幌)

皆さん、こんにちは。昨年度からコンボの理事をさせていただいております矢部滋也(通称:やべっち)と申します。「リジツレ~理事の徒然~」のお話しを頂いて、私がメンタルヘルスにかかわることになったきっかけ、思い出について「ピアサポート」を交えて振り返ってみたいと思います。

小さい頃から、病弱で気弱で大人しい性格でした。そんな僕が学生時代に没頭できるスポーツに出会いました。それが器械体操でした。一つの技をクリア出来たら次の技へステップアップしていきます。コツコツと努力をすることや個人競技というのが自分の本質に合っていたのだと思います。縁あって、中学・高校と全国大会に出場することも出来ました。途中、ケガをしてしまったり、スランプや挫折もありました。

今思うと、病気になって第二の人生を歩み始めると器械体操は「リカバリーの過程」に似ているような気がしています。

僕は福祉系の大学に進み、高齢者施設に勤めました。その後、27歳の頃に「ご飯が食べれない…」、「眠れない…」、「不安」という抑うつ状態に陥りました。辛くて、辛くてはじめてメンタルクリニックにかかりました。睡眠導入剤と抗不安薬が処方されました。はじめは飲むと心と体が楽になれたのですが、一向に良くならなく、薬はどんどん増え、薬の内容も変化していきました。薬に対して耐性が弱く、高アンモニア血症になり、動くことができなくなりました。その頃、薬を飲み続けながら働いていたのですが、主治医だった先生に「限界です…」と伝えました。先生は入院を勧めました。僕は精神科の閉鎖病棟のイメージから入院するのがとても怖かったです。入院してみると、怖さもありながらも違う感覚が芽生えました。そこには「同じように社会から一時リタイアした仲間達」がいたのです。それが初めて感じたピアの感覚かもしれません。

2か月ほどの入院でしたが、病気が治ったわけではありません。ここからが本格的に病気とのお付き合いがスタートしていきました。ちなみに診断名は双極性障害と不安障害でした。

病院の作業療法、リワーク、ピアサポーターと研修での出会いを経て、僕自身も「病気や障がいの経験を活かして働きたい」と思うようになり、自助グループの立ち上げ(この頃、コンボが行っていたピアサポートグループの立ち上げ支援にお世話になりました)、協会の立ち上げ、障害福祉サービスの立ち上げから、現在はピアサポーターの養成…あっという間に10年近くが経とうとしています。

これからもピアサポートの普及やピアサポーター、ピアスタッフの発展に寄与していきたいと思っています。ありがとうございました。

(2022/05/18配信)

 

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