自分にとっての家族(本人)


「こころの元気+」2008年10月号特集1より


特集1 自分にとって家族とは

私を見守ってくれた家族
岡山県/倉田真奈美さん

私がもっとも調子が悪かったとき、昼間は母が散歩に連れて行ってくれて、夜は姉と父がみてくれました。
火をつけたり、髪を切ったり(ストレスでほとんど抜けていましたが)、目が離せない状況でしたが、家族は団結して入院させず、よく私の面倒をみてくれました。
夜中になると徘徊していなくなる私を、手分けして探し出して連れ帰ってくれました。
真夜中に一人で公園のブランコに乗っていたら、微笑みながら父が近づいてきて「一緒に帰ろう」と言ってくれたのを覚えています。
病院からの帰りは、いつも母と姉と三人でロイヤルホストで食事するのが楽しみでした。つらかったけれど、幸せだったと思います。
家族が敵にまわったとき
千葉県/小城ゆり子さん

Hさんが病室で一人、泣いていました。ご主人からの手紙を、両手でくしゃくしゃにして、さめざめと泣いていました。
「どうしたの?」と聞いた私に、彼女はその手紙を見せました。私は、彼女と同じ病院に入院していたのです。
「もうお前のわがままにはうんざりだ。人の迷惑も考えろ。ぐずぐず言うのも、いいかげんにしろ。病院の中で、頭を冷やして考えろ」
「えっ、これがご主人からの手紙?」と、問いかける私に、彼女は泣きながら、こくんとうなづきます。
私のこと…私の母は、こんな手紙はよこさないけれど、私が退院して家にいるとき、
「お前の病気で、私は苦しんだんだ。もう二度とあんな苦しみにはあいたくない」
といつも言っていました。
それで私は、自分の苦しみの他に、母の苦しみが重なって、抑うつ状態になり、病気が悪化しました。母は、自分の苦しみを私にぶつければ、私の病気がよくなる、と思っていたようです。しかしそんなことで、よくなる病気はどこにもありません。
家族には、患者の苦しみをもっと理解してほしいです。
一人の医師の仲立ちで
千葉県/藤澤正志さん

僕は父親との間に強い葛藤があり、家族関係修繕に五年強の時間を、徹底して費やしてきました。
方法はシンプルで、父と僕との間に公平な第三者を入れることによって、溝を埋めていきました。その第三者は、僕の場合、今お世話になっているS医師です。
S先生は、パニック障害を患い、社会から脱線してどうしようもない状態の僕と、症状を理解できず、僕にどうにも思いをぶつけにくい父親の間に入っていただきました。親子が消耗戦にならないように相互にフェアな落とし所となるご提案・アドバイスを細かく継続してもらい続けてきました。
五年かけて、僕の思いを受け止めることができるようになった父とは、今では話が水掛け論になることはなく、という状態まで効果をあげていくことができました。
僕も、父の理解とS先生のご協力を得るために、無理をしないように気をつけながらも、できる限りのことをしてきました。
具体的には、デイケアに継続的に通い、このように体験談をこの雑誌に書かせていただいたり、理解のある場所でのアルバイトを継続させてきたことです。
また、コンボと同じ地域にある自助グループNPO「セカンドスペース」に通いながら、社会に出て行くための訓練を続けてきたことが、家族関係の良好化へ向け、大きく役立ったと思います。
いやなときでも、できるだけ逃げないように、親子で会話を続け、意思の疎通を取ってきた努力が、今の腹の探りあいのない関係につながっていると思います。