私たちは生きるシフトを自由に変えられる(本人)


こころの元気+ 2011年1月号特集より 「こころの元気+」とは?→コチラへ


特集6
私たちは生きるシフトを自由に変えられる

ERIさん


心は私の戦場だった

心というものは、使うものではありません。きっと風と同じように、ただ、そこにあるものです。
そして私の役目は、人々の役目は、その心の動きだけを、ただ感じていればいいのではないでしょうか。

私は高校生のとき、パニック障害と診断を受けました。
自分が精神病になったことへの不安や戸惑いは、とても大きかったです。
そして、日に日に状態は悪化し、さまざまな症状を体験し、学校へは行かなくなりました。
精神の病いは、あらゆる手段を使って、私の自我や感情や欲動や信念を抑圧しようとしました。
そして何より、この病いにかかった心は、私自身が、私が抱く不安感を最大限に利用するという、恐怖だらけの時間でした。
それは、自分からは逃げられない恐怖、気楽にやれない恐怖、理屈で病気は治らない恐怖、心の休み方を知らない恐怖、本当にさまざまでした。
そして、創造性も残虐性も無駄に豊かな、乱暴な感情ばかりを抱きました。
そのようななかで、私は生きることに疲れ、自殺未遂を繰り返していき、精神科に入院をしました。
私には、ゆっくりと私というなかに、さまざまな不在が存在し始めました。
そしていつしか、私自身が、私の心から不在となってしまいました。
心は、私の戦場でした。

ですが、私は今、その戦場から看護師という切符を手に入れました。
現在、看護学生をしています。
私は、病人として、人間として、最大の発見を得て、再び社会に帰ってきました。
その発見とは、死のうとした病気から、生き方を教わっていたことでした。
私は、病気から生きるヒントをもらっていたのです。
それは、孤独や苦しみの見方を変えることでした。
自分の孤独にばかり目を向けないで、他人の孤独や苦しみに、目を向けてみよう、というものでした。

見る位置をズラしてみる

見方を変える、ということは今日、明日でできることではありません。
ですが、見る位置をズラすことなら、できると思います。
左を見てみてください。右を見てみてください。思い切り下を見てください。思い切り上を見てください。
立っている位置は同じでも、すべての景色は、違うはずです。
私たちは、いつでも生きるシフトを、自由に変えられるのです。
そう感じたとき、私は、一年一年をかけて年をとるのではなく、一瞬にして年を重ねたような気がしました。
病気や障がいは、私たちを苦しめるだけに存在するのでは決してありません。
苦しめながらも、与えられているものは、必ずあります。

今でも、私の傷は生きています。
忘れることなどできないからです。
ですが、その傷や苦しみも大事にしていこうと思えました。
「なぜ、生きるの」今思うと、なぜ、生きるのに理由がほしかったのでしょうか。

「壊れてしまうよ」人々は私に何度も告げました。
ですが、私はもう、壊すほどのものは持っていません。
強くならなくていいんです。
自分が、呼吸しやすいように生きてください。
人生において、確かなことなどありません。
それだけが確かな世界で、私たちは何度も生まれ変われます。
私はこれから、生きづらいと感じる人々に、生きるヒントを与えられるような人間となっていきたいです。そして、心のケア、魂のケアができる看護師になります。
そして何よりあなたの病気や障がいは、今、あなたに生き方を教えている最中なのです。