悪循環になるのは仕方ないこと(専門職)


こころの元気+ 2013年9月号特集より


特集8
悪循環になるのは仕方ないこと

埼玉県立大学 保健医療福祉学部 看護学科
横山恵子


大切な家族が病気になれば、混乱したり巻きこまれたりするのは、誰もが経験する普通のことです。
特に、精神疾患の急性期の体験は、家族の心に大きな傷を残すほどたいへんなできごとです。

ご家族に当時のことを伺うと、知らず知らずのうちに「悲しいわけじゃないのに」と涙を流されたり、つらい記憶を封印して、「当時のことを思い出せない」という方もいます。
ご家族にとって子どもの急性期の体験は、PTSDともいわれます。
ですから、本人が大きな音をたててドアをバタンと閉めただけで、当時の記憶が恐怖の感情とともに、鮮明によみがえったりします。
これが、家族(特に両親)を次のステップに進めなくさせます。
「そろそろ退院してみませんか」とか、「作業所に通うのもいいかもしれせん」とすすめられても、あのときの状態には決して戻りたくないと、二の足を踏んでしまうのです。
長い間、子どもの日々の具合に一喜一憂していると、生活のすべてが子どもの病気に支配されます。

「病気の本人を置いて外食するのはかわいそう」
「子どもが苦しんでいるのに、家族会に行って笑っていてもいいのか」
と考えます。
一方で、本人も
「自分が原因で家族に心配をかけている」
という罪責感が生じて、お互いに元気を失っていきます。

これを乗り越えて、「私の人生は私が主人公、子どもの人生は子どもが主人公」と分離できないと、次の一歩は踏み出せないでしょう。

「子どもが病気になって失ったこともいっぱいあるけど、よいこともたくさんあった」
「子どもは丸ごと病気なわけではなくて、健康な面やよいところもたくさんある」
家族がそんなふうに考えられるようになると、回復が始まります。

親子の分離とは、つまり、親自身が自立すること、親自身が自分の人生に楽しみを見出すことだと言っていいでしょう。
そのためには、病気の正しい知識とともに、同じ家族という仲間の存在が必要です。
ここに、家族会や家族支援の必要性があるのだと思います。