コミックが人生を変えた(医師)


「こころの元気+」2012年8月号 特集より


特集4
コミックが人生を変えた

やきつべの径診療所
夏苅郁子


私は、静岡に住む精神科医です。
夫も同業者で、夫婦で12年前から診療所を開業しています。
このように書くと、きっと何不自由のない家庭で育ち、医学部に入り、結婚した幸せなお嬢さんの人生を想像されるのではないでしょうか?

.今も残る傷跡

でも、私の手首には今もはっきりとわかる傷が残っています。30年前にくり返していたリストカットの跡です。
精神科医が自傷行為をしていたなんて、お手本にもなりませんが、20代の私は過食・拒食もくり返していました。

原因は、母親の病気です。
母は、私が10歳頃に統合失調症となり、二回精神科病院へ入院しました。
母も私も一人っ子で母の実母はすでに亡くなり、両親は離婚、父はすぐ再婚したため、頼れる身内はいませんでした。

人が一番つらいのは、孤独だと思います。
母が、病気のためみじめに家から追い出された姿を見て、私は女でも困らないように必死に勉強して医師になりましたが、孤独病は治りませんでした。
人の幸せは、社会的地位や経済的安定だけにあるのではないと、つくづく思います。

私の精神状態は医学生のときが一番ひどく、特に大学で、統合失調症のことを学んだときは最悪でした。
講師が延々と説明する統合失調症の症状は、自分が子どものときに見た母の症状そのものでした。
遺伝の話はさらに追い打ちとなり、常に発病の恐怖と向き合ううちに
「自分は生きていてもろくな人生は歩めないだろう」
と思いこむようになり、リストカットや過食・拒食・自殺未遂をくり返したのです。

こんな医学生だったので、学生時代から精神科にかかり、教授のお情けで精神医学教室に入れてもらい、精神科医となりました。
「拾われた子犬」、当時は自分のことをそう思っていました。
そんな状態で診療をした患者さんたちには、心から申し訳なく思っています。
それでも、夫と巡り会い、結婚して子どもも生まれ、やっと
「家庭のだんらんって、いいなあ」
と思えるようになり、人並みの幸せを味わえるようになりました。

表面上は平和がおとずれましたが、診療所の開業時、周囲が住宅街だったため猛烈な住民の反対運動を受けました。
私は精神の病気に対する周囲の偏見に憤りをおぼえながらも、自分自身も母のことを隠していることに葛藤をかかえていました。
やはり偏見の目で見られることが恐かったことや、母との異常な生活をもう思い出したくなかったのです。
母は、5年前に亡くなっていました。自分の心のなかだけで、ひっそりと母を弔おうと考えていました。

.封印を解いたまんがの力

そんな私を 度変えてしまったのが中村ユキさんの『わが家の母はビョーキです』という一冊のまんがです。
もしこの本がまんがでなかったら、私は手に取ることはなかったと思います。
そういった類の本は意図的に読まないように避けていました。

でも、ある日、新聞の本の広告欄に私の目は釘づけになりました。
不思議なことに、その本の表紙にはどこにも「統合失調症」という言葉はなかったのです。
それでも目に止まったのは、きっと表紙の真ん中で涙を流しているユキさんのお母さんのまんがが、母の姿と重なったのだと思います。
これが、まんがの力だと思います。
くどくど説明しなくても、そしてとても深刻な内容のはずなのに、明るくておもしろいと受け取れる、不思議な力をまんがは持っていると思います。

一気にユキさんのまんがを読み、封印していた数十年分の涙を流しました。
「この人に会おう!」とすぐ出版社へ手紙を出しました。
「自分と同じ思いをした人がいる」
という事実は、私の人生の何かを大きく変える予感につながりました。

4年前、ユキさんと初めて会って、同じ思いをした者同士で話し合ったときのことは忘れられません。
母のことは、いくら夫でもやはり理解してもらえないこともあったからです。
2人にとって、決して手にすることのなかった子ども時代の幸せは、
「恨みに近いあきらめ」
「執着心を持てない空虚さ」
など、言葉では、ぴったり表現できない感情をつくり上げていました。

もしそれを癒す何かがあるとしたら、同じ思いをした人との語りであると、今は気づいています。
「人が人に語ることは治療になる」
本当にそれがわかったのは、まんがを読み、母のことを受け入れるようになってからです。

母への複雑な感情は、母が病気であると知らされないまま自分が育ったことが原因であって、母も私も父も悪くはないんだと思えたとき、私は「親を恨む」という呪縛から解放されました。
このとき、やっと
「精神科医になってよかった」
と思えるようになりました。

大学病院で、何十人もの精神科医に囲まれても治らなかった私の病は、一冊のまんがで
「心が洗われる」
という表現そのもののように治っていきました。

前の私を知る人は、今の私を
「別人のように明るくなった」
と言ってくれます。
そして、この変化は私の診療にも反映され、患者さんたちもよくなっていきました。
何より、患者さんの家族に対して、何も隠すことなく正直な気持ちで向き合えるようになりました。
人が変わっていくには、医学や薬以外のさまざまな媒介があることを、皆さんにも知っていただきたいと思います。