親が歳をとったとき(本人)


こころの元気+ 2012年11月号特集より


特集6
親が歳をとったとき


私の名前はおぼえている母
愛媛県 TAKさん


愛媛県に住む統合失調症当事者です。母が認知症を患ってから、もう一〇年近く経ちます。 
しかし、父が存命の間は父の意志で母を施設や病院に預けることはしませんでした。
素人目に見ても母は完全に妄想や夜間の徘徊があり、家でかかえるには無理な状態でした。
父の末期がんが発見されるまで、家で父や姉と私で母を面倒みました。

父が入院する一か月ほど前にやっと「ケアマネージャーさんに相談して、一時的に母ちゃんを預かってもらおうか」と言い出したので、近所のデイサービスに勤務するケアマネさんに相談に行きました。
そして週に一度デイサービスで日中預かってもらって、その間私たち家族も自分の仕事ができほっとしました。

父は入院して一〇日ほどで亡くなりましたが、その後、姉やケアマネさんなどと相談し、母をいったん施設に預けましたが、その施設から「うちでは面倒みきれない」と苦情がきました。 
いろいろ探して、私も縁のあった病院の系列の認知症専門病棟に母を入院させることにしました。 
そちらに預かってもらって、もう一年が経とうとしています。

最初は「次の施設を探してください」と言われましたが、そのうち何も言われなくなりました。病院なのでケガや風邪をひいたときは処置もしてくれます。 
一度、三九度を超える高熱を出して、病院から連絡があったときはどきりとしましたが、先生から「だいじょうぶですよ」と言われ、うまく処置していただいて、安心していられるようになりました。
月に一度面会に行って様子を見るようにしています。 
面会に行く度に、少しやせたように感じていますが、不思議と私の名前はおぼえていて、息子だということがわかるようです。 
母が存命の間は、月に一回は面会に行くようにするため、他の土地に引っ越しをすることはできないなあと考えています。 
もし母が寝たきりになったら、逆にうちの近所の施設に母を預けるということも考えますが、元気に歩いているうちにすっとあの世に旅立てれば、母も幸せなのかもしれないとも思っています。


家族の気持ちが少しわかった
三重県 川北誠さん


僕は四二歳で、七五歳の母親と二人暮らしです。 
最近、母が腰を痛めました。
通院治療していましたが、いっこうによくならず、入院することになりました。でも、注射治療ですぐによくなるだろうと思っていました。 

これがとても甘い考えだったことを思い知りました。注射をしても、やはりよくならず、手術の話が持ち上がりました。
この時点で、入院は長期に渡っていました。
その間、僕は買い物や食事、洗濯を自分でしました。入院中の母の見舞いもしました。
必要なものをそろえたり、洗濯をしたりしました。 
すべてを一人でしたわけではなく、お義姉さんに手伝ってもらいました。一人じゃないと思えて心強かったです。

母の手術は、高齢での全身麻酔だったので、不安もありましたが、無事に終わりました。
その後の経過も良好で、退院の目途も立ちました。 

ところが、ある日突然、病院から「容体が急変したので、すぐに来てほしい」と電話が入りました。僕は、びっくりして病院に向かいました。道中いろいろなことを考えましたが、できるだけ冷静でいようと努めました。
トイレで意識を失ったそうで、検査をしていました。
異常はなくて、すぐに一般病室に移り、その後、腰の状態もよくなり、退院できました。 
このとき僕は、まだまだ、いろいろな覚悟ができていないことを痛感しました。 

母の入院中から、介護保険を使って、家に手すりをつける話があがって、介護認定を受けることになりました。
その手続きも、お義姉さんがしてくれました。僕は、このような手続きが苦手なので本当に助かりました。
このときに、専門家とのつながりができ、手すりも無事につきました。 

今では、母はずいぶんよくなりましたが、一人で生活するには不安があり、協力しての生活が続いています。
料理、掃除、ゴミ出しなどは、僕がしています。
母の入院を通して、家族の気持ちが少しはわかりました。
僕は、家族として、できないことを嘆いたり、何かを肩代わりしてしまい、リハビリにならなかったりしました。
いつも、僕が訴えていたことでした。 
きっと、これから、僕が支える機会が増えると思いますが、一人でかかえこまずに、家族や専門家の支援を受けていこうと思います。