自傷のことを誤解しないで~自傷理解の基本(医師)


自傷のことを誤解しないで~自傷理解の基本~

松本俊彦
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所薬物依存研究部 部長
自殺予防総合対策センター 副センター


【筆者紹介】
松本俊彦(まつもと・としひこ):国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所薬物依存研究部 部長
自殺予防総合対策センター 副センター
平成5年佐賀医科大学医学部卒業後、横浜市立大学医学部附属病院にて臨床研修の後、国立横浜病院精神科、神奈川県立精神医療センター、横浜市立大学医学部附属病院精神科などを経て、平成22年より現職。主著として、「自傷行為の理解と援助」(日本評論社,2009)、「アディクションとしての自傷」(星和書店,2011)、「自傷・自殺する子どもたち」(合同出版,2014)、編著としては、「くすりにたよらない精神医学」(日本評論社,2013)などがある。


 

自傷は誤解されている

自傷はしばしば誤解されています。
たとえば援助者や一般の人の中には、リストカットなどの自傷を、「誰かの気を惹くために」行われる、一種のアピール的な行動と思いこんでいる者が少なくありません。
しかし実は、自傷がアピールのために行われることを証明した研究など、どこにも存在しません。
研究が明らかにしているのは、自傷の大半は一人きりの状況で行われ、誰にも告白されないということなのであり、自傷の多くは、怒りや絶望感といったつらい感情をやわらげるために行われているということです。
要するに、自傷をくり返す者は、誰かに助けを求めたり相談したりせずに、孤独に苦痛を解決しようとしているわけです。いいかえれば、自傷とは、「周囲へのアピール」とは正反対の意図から行われる行為といえるでしょう。

自傷は「心の痛み」をおさえてくれる鎮痛薬

自傷をくり返す人の多くは、自傷の効果について次のように語ります。
「切るとホッとする」「気分がスーッとして楽になる」「気分がスッキリして元気が出る」。
どうやら一種の安堵感や解放感を体験しているようです。なぜでしょうか?
興味深い研究があります。自傷をくり返す人の場合、自傷直後に脳内でエンケファリンやエンドルフィンという物質(脳内麻薬)が分泌されるというのです。その効果により、自傷によってつらい気持ちがやわらいだ感覚を体験するのでしょう。
自傷にはまた、つらい記憶や感情から気をそらす効果もあるようです。
ある患者さんは、私にこう言いました。
「心の痛みを身体の痛みに置き換えているんです。心の痛みは意味不明で怖いけど、身体の痛みならば、『あ、ここに傷があるから痛くて当然』って、自分を納得させることができるんです」。
この言葉は、「自分では説明できないし、コントロールすることもできない痛み」を、自傷によって、「自分で説明できるし、コントロールもできる痛み」に置き換えていることを意味します。おそらくその患者さんにとって、自傷は、「死にたくなるほどつらい記憶やつらい感情」から気をそらし、何とかその瞬間を「生き延びる」のに役立っているのでしょう。
要するに、自傷する人が切っているのは皮膚だけではないのです。彼らは皮膚を「切る」のとともに、意識の中で、つらいできごとの記憶やつらい感情の記憶を「切り離し」、それらを「なかったこと」にしているのです。

自傷は応急処置でしかない

しかし、たとえ「生きるため」であっても、自傷には2つの問題があります。
その1つは、その「鎮痛効果」が一時的なものでしかないということです。
たとえば、脚を骨折して、ものすごい痛みを感じているときのことを想像してみてください。
自傷は、このような状況において、「骨折はそのままにして、ただ強力な痛み止めだけ投与する」という治療と似ています。この治療では、たしかに痛みは感じないかもしれませんが、折れた骨はもと通りにはならず、骨は不自然な形のまま固まって別の痛みを引き起こすことになるでしょう。おそらく痛み止めをずっと服用しなければならないどころか、痛み止めの量は増えていくはずです。
自傷にも同じことが起こります。自傷は一時しのぎでしかありません。
それは、「死にたくなるほどのつらい気持ち」をやわらげてくれ、その瞬間は死なずにすむかもしれませんが、「つらい気持ち」の根本的な原因を解決するわけではないのです。

生きるための自傷が死をたぐり寄せる

もう1つは、自傷はエスカレートしやすいということです。
すでに述べたように、自傷による「心の痛み」に対する鎮痛効果は、脳内の麻薬様物質によるものと考えられています。実は、自傷にも麻薬と同じ特徴があります。
つまり、麻薬には、くり返し使っていると効果が落ちてきて、次第に使う回数や量が増えていくという、「耐性」という現象がありますが、これと同じ現象が自傷にも見られるのです。
最初は、つらい家庭や学校での生活に耐えるために週に1~2回切ればよかったのが、次第に毎日、あるいは1日に数回切らないと耐えられなくなってしまいます。あるいは、「より深く」切る必要を感じたり、最初は左腕だけだったのが、右腕も、となります。時には太ももやお腹、あるいは首や顔といったデリケートな部位まで切らないといられなくなってしまうのです。
こうして、つらい感情を引き起こす現実の問題は解決しないままに、ただ自傷だけがエスカレートしていきます。そしてエスカレートした末には、「切ってもつらさはやわらがないが、切らないともっとつらい」という状態におちいりやすいのです。
これまでは、「人は誰も私を助けてくれないし、私を裏切るけど、自傷だけは私を裏切らない」と思いこんでいたのに、今度はその自傷にまで裏切られてしまう事態です。
この段階に達すると、頭の中は「死にたい気持ち」でいっぱいになります。
もともとは「生きるため」に行っていた自傷なのに、自傷に頼りながら生き延びる中で、かえって「死にたい気持ち」が強くなり、死をたぐり寄せてしまうのです。

「自傷はダメ」はダメ

誰かの自傷を発見したり、あるいは、「自傷してしまった」という告白を受けたりした場合、頭ごなしに叱責したり、その人の罪悪感や恥の感情が刺激されるような対応をしないでください。
自傷をくり返す人の多くが、自分の行為に恥の感情をいだいています。このうえさらに、罪悪感や恥の感情を上乗せするような対応をすれば、余計自傷したい衝動を高めてしまいます。
また、援助の最初から自傷を禁止したり、「もう自傷はしない」という約束を強要したりするのも好ましくありません。自傷は、「応急処置」や「緊急避難」としては多少とも役立っていることを忘れないでください。
自傷する人の最大の問題は、自傷そのものではなく、「つらいときに人に助けを求めないこと」です。
したがって、もしも援助の最初からいきなり禁止されれば、「自分の生きる延びる努力を否定された」と感じ、ますます人に助けを求めなくなってしまうでしょう。

感情的に反応するな 医学的に反応せよ

たしかに生々しい自傷創は人を感情的にさせます。
ですから、誰かの自傷を発見した人の一般的な反応とは、過度に同情したり、はげしく驚いたり、あるいは、「なんて声をかけてよいかわからずに見て見ぬふり」をしてしまったりするものです。
しかし、これらはいずれも自傷した本人にとってインパクトの強い反応であり、本人に「自傷がもつ他者へのパワー」を気づかせてしまいます。
その結果、これまでは「自分の感情をコントロールするため」にしていた自傷を、今度は「他者をコントロールするため」に用いるようになってしまい、自傷が非常にこじれてしまいます。
こうした「こじれ」が最も少ないのは、冷静な対応です。具体的には、傷を冷静に観察し、必要な処置を粛々(しゅくしゅく)と行うという対応、医療者のような対応です。
標語風にすると、「感情的に反応するな、医学的に反応せよ」となります。

背後の見えない傷

忘れないでほしいのは、「見える傷の背後には必ず見えない傷が存在する」ということです。
自傷の背後には、虐待やいじめ被害がある場合があります。身近な人から暴力や束縛を受けていたり、言葉や態度でくり返し「ダメ出し」をされていたりする状況が少なくありません。
しかし、自傷によって「皮膚を切る」のと一緒に、「つらいできごとの記憶やつらい感情」を意識の中で「切り離し」、「なかったこと」にしているので、背後にある「つらい現実」をなかなか語れないのです。
したがって、「何か事情があるのだろう」という態度で向き合う姿勢が大切です。そして、つらい現実が明らかになった場合、その問題への介入や、関連機関と連携することを躊躇すべきではありません。

最も「自傷的」なことは・・・

自傷をくり返す人の生き方は、ある意味でさまざまな点で「自傷的」です。
というのも、自傷する人は飲酒・喫煙の習慣を持つ人が多く、薬物乱用経験者も少なくありませんし、女性であれば、摂食障害的な傾向の人や、また、望まない妊娠や性感染症、あるいは、リスクの高い危険な性行動をとる人もいます。
これらはいずれも広義の自傷と捉えられるでしょう。
しかし、自傷する人に見られる、こうした自傷的行動の中で最も「自傷的」な行動は、決して自傷でも薬物乱用でも摂食障害でも危険な性行動でもなく、「つらいときに誰にも相談しない、人に援助を求めないこと」なのです。
そのことを忘れないようにしてください。(「こころの元気+」2014年12月号より)


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