特集2 「経験専門家」とは?(219号)


特集2
「経験専門家」とは?(219号)

○「こころの元気+
2025年5月号より
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筆者
下平美智代
一般社団法人COMHCa 共同代表
社会福祉法人所沢しいのき会 相談員


「経験専門家」との出会い

私が初めて「経験専門家」という呼び名を知ったのは、フィンランドのオープンダイアローグ(※)を学ぶ中で、2017年2月に研修のためにケロプダス病院を再訪したときのことです。
(※オープンダイアローグ:「開かれた対話」という意味の新たなケアの手法で、フィンランドのケロプダス病院で1980年代半ばから開発された精神科治療のアプローチ法)⇒関連DVD

フィンランド語では、Kokemusasiantuntija
英語では,Expert by Experience
というのを、フィンランド語通訳の方が「経験専門家」と訳して教えてくださいました。

経験専門家は、
当事者・家族・専門家や学生に対して自分自身の経験について話をしたり、
行政などの会議で経験にもとづく考えや意見を発信したりする活動を行っています。

当時、私は2人の経験専門家のお話を聴く機会に恵まれました。

1人は、
2009年に当事者の運営する精神保健協会で経験専門家のトレーニングを受けたそうです。
ご自身の経験をさまざまな場所で語り、ケロプダス病院の運営会議に参加したり、経験専門家養成講座にトレーナーとして参加しているということでした。

もう1人は、
経験専門家としての活動を始めたばかりの方で、「自分も助けられたので、同じように誰かの助けになりたい」とのことでした。
そして、「私は看護師でもあり当事者でもあるので、むずかしいことがあります。健常にならなければ支援できないわけではないと思うのですが、そうならなければと思ってしまうこともあるのです」と話していました。

 

誰もが自分自身の経験の専門家

「経験専門家」という呼び名に、人はさまざまな印象を持つことと思います。
「専門家」という漢字にとまどいを感じる人もいるかもしれません。

私の最初の印象は「とてもいい呼び名だなー」というものでした。
「この呼び名には、人それぞれの固有の経験へのリスペクト(尊敬)がある」と感じました。

私自身の経験

私自身は、20代から30代にかけて睡眠障害とくり返し起こるうつ症状に悩まされました。
自己否定的な観念と他者への不信感にとらわれ、家族や友人を避けて、自分で自分を孤立させてしまった時期もありました。

30代の終わりに「長いトンネルからぬけた」と感じたときがありました。
視界が明るく開けたようでした。

それは、どんな自分でも、どんなときも、実は誰かに(何かに)支えられていたのだとわかったときでもありました。

経験専門家の話を聴いて

もうずいぶんと前のことですが、そのときの感覚は今でも思い出すことができます。

フィンランドで経験専門家のお話を聴いたとき、「私も自分自身の経験の専門家なのだ」と素直に思えました。
誰もが、その人自身の経験の専門家なのだと
そして、社会貢献のために自らの経験を語る経験専門家の活動が、とても尊いことのように感じられたのです。

「経験専門家」とは

一般的な意味での「経験専門家」は、
何らかの疾患、あるいは障がいにより、保健医療福祉サービスを使う当事者とそのケアを担う家族のことをいいます。

当事者それぞれが培ってきた経験、その状況を生きてきた経験に対する敬意と尊重を表す呼び名であり、特に社会福祉領域で、「クライエント」や「サービスユーザー」に替わる呼称として広まりつつあります。

共に創っていく

この呼び名はコ・プロダクションの推進とも関連があります。

コ・プロダクション」とは、
サービス提供者と受給者とが協働して、よりよいサービスやしくみを創っていくことです。

フィンランドだけではなく、スウェーデン、イギリス、ニュージーランドなど、さまざまな国で、社会福祉や精神保健の政策を創っていくときに経験専門家が参加したり、臨床心理学・精神保健福祉や精神看護の教育の中で、学生が経験専門家の講演を聴けるようにしている大学もあります。

経験専門家のトレーニング

フィンランドでは、複数の当事者団体が経験専門家のための講座プログラムを提供しています。

ケロプダス病院では、オープンダイアローグのミーティングの中で、語り、聴くことの経験を積み重ねるような講座が提供されています。
受講生定員は8人で、毎回車座となり、90分の時間枠の中で2人だけが交代で話をし、他の参加者は「聴く」ということをしているそうです。

講座ファシリテーターの病院心理士は次のように話してくれました。
「大切なのは、語ることが回復の1つのプロセスになっていること、参加者が気持ちよくトレーニングを続けていくということです。自分のことをまずは気にかけることから始めて、自分自身に気づいていくことが大事だと思っています」(文献1)。

講座そのものがピアサポートの場

ケロプダス病院における経験専門家の講座は、語り手としての経験専門家の育成というだけでなく、8人グループの中で、受講生達がお互いの話を聴き合うことで、講座そのものがピアサポートの場となっています。

私は、このあり方が、アメリカのシェリー・ミードが創始した「インテンショナル・ピアサポート(IPS…意図的なピアサポート)」(文献2)と共通しているのを感じました。
ミードによると、ピアサポートがピアサポートたり得る核心は4つあり、それは、
「つながり」
「世界観」
「相互性」
「向かうこと」です。

この内、補足説明が必要なのは「世界観」と「向かうこと」だと思います。

世界観
「世界観」とは、人それぞれの世界観です。
自分自身のものの観方(私はどうしてそう思うようになったのか)を自分で理解するためにお互いに助け合うことがピアサポートであり、サポート(助け)とは、「ともに学び、成長する過程」であるといいます。

向かうこと
「向かうこと」というのは、「望まないことを避ける」ためではなく、「望むことに向かって進むため」に助け合うことです。

私は、このIPSの考え方とフィンランドの講座のあり方をヒントに「経験専門家養成講座のプログラムを創り、自分の働く地域でもやってみたい」と思うようになりました。

経験専門家養成講座

2017年当時、私は千葉県市川市のNPO法人に勤めていました。
当時の同僚とボランティア数人で試行的に経験専門家養成講座のプログラムを創ってスタートしました。

この講座は、参加者同士が互いを思いやりながら相手の話を聴き、自分の経験を語るというあたたかな雰囲気の相互サポート的な場となりました。

その後、私は転職し、埼玉県所沢市で地域支援に携わるようになりました。
所沢でも市川と同じような取り組みができないかと考えていた2019年の夏頃、社会福祉法人でピアスタッフとして働く志賀滋之さん(⇨特集3)との出会いがありました。

志賀さんは市川の講座を見学し、所沢での試みへの協力を表明してくれました。

その後、2017年から所沢市の事業として「ところざわ経験専門家養成講座(TEBET:テベット)」(文献3・4)が開講され、現在も1年度に2コースの講座が行われています。

講座では参加者それぞれが自分自身の経験(体験・感じていること・考えなど)を語り、他者の語りを聴くことを集中的に行います。
本質的なところは市川の講座から変わっていないのですが、コースが終わるたびに運営スタッフ間で話し合いを持ち、少しずつ改良されて今日に至っています。

終わりに

所沢の講座は、経験専門家と専門職が運営スタッフとして協働していること、スタッフも受講生同様に自分の経験を語り、聴かれる体験をすることが特徴です。

平場で語り合い、聴き合う中で、誰もがそれぞれの経験を持つ生活者、1人の人であることを実感します。
そして、お互いへの敬意と思いやりの気持ちが湧いてきます。
参加者は語り聴く経験を重ねる中で、自分自身の思いに気づいていきます。

このため、講座を終えた人が行く道はそれぞれです。
経験専門家として活動する人もいれば、そうでない人もいます。
それは完全に自由な選択にもとづいています。

私自身は、専門職と経験専門家の協働・共創が大事で、それはサービスを提供する側とされる側という境界を超えることだと考えています。
そして、それがひいては日本の精神保健をよりよくすることにつながると考えています。


引用文献

文献1:下平美智代.フィンランドの「経験専門家」というピアサポートのあり方.In 大島巌(監修).ピアスタッフとして働くヒント 精神障がいのある人が輝いて働くことを応援する本.pp64-68. 星和書店. 2019.
文献2:Shery Mead. Intentional Peer Support An Alternative Approach. copyright property of Shery Mead. 2005.(シェリー・ミード.久野恵理(訳).意図的なピアサポート:代替的なアプローチ1. 2008.)
文献3:下平美智代,早瀬大介,齋藤文花他.経験専門家のピアサポートとオープンダイアローグ―語り聴くプロセスで何が起きているか.N:ナラティブとケア15, 61-67. 2024.
文献4:下平美智代,志賀滋之,本橋直人.特集 その後のオープンダイアローグ in Japan #03. 地域精神保健領域での実践──経験専門家による対話的なピアサポート──.シンリンラボ16(2024年7月号).(https://shinrinlab.com/feature016_03/)


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