特集3 子ども・きょうだい・配偶者の「私も支援されていいんだ」と感じた体験(185号)


特集3 子ども・きょうだい・配偶者の
「私も支援されていいんだ」と感じた体験(185号)

※「こころの元気+」2022年7月号より
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子どもの立場・きょうだいの立場・配偶者の立場の以下の3人の方から、なぜ自分が支援される対象ではないと思っていたのか? 昔の思い・今の思いなどを寄せていただきました。

○子どもの立場:のんさん
○きょうだいの立場:木村諭志さん(埼玉県立大学)
○配偶者の立場:荒木裕美子さん(石川県)


疑問もなく~子どもの立場 
著者:のんさん

 

私は統合失調症の母と父の3人家族です。
私は19歳のときに家を出て、親の問題は解決したと思っていました。
私にとっては、終わった過去でした。
しかし、私が40歳で結婚、離婚、殺されるような恐怖を感じて人生に追いつめられて、自分の考え方、自分自身、自分の過去と向き合うことになりました。

ホームページを見つけて

自分のトラウマを探した結果、三重県にある精神障がいのある「親&子どものサポートを考える会」とNPO法人「ぷるすあるは」のホームページにたどり着き、子どもの会や子どものためのホームページができたんだと驚きました。

ホームページを見て、自分に似ていると気づきました。
精神疾患の親と暮らした体験と今起きていることがつながっているのかもしれないと思いました。
役所にも相談したのですが、(その当時)全国に子どもの会が三重県にしかないと聞いて、三重県と離れた地域に住んでいましたので、悩んでいました。
自分で子どもの会を作ることにしました。

会の代表をするので、三重県の会に一度は行かなければいけないと思い、三重県の会に参加しました。
同じ子どもの立場の方と出会ったのは初めてでした。
そして、支援者の数が大人数でした。

変わったんだ!

私は実家を出て20年経っているので、「支援」という言葉も使ったことがあまりありませんでした。
今でもよくわかっていませんが、大学の先生達が研究という「支援」をしています。
こういう世界があったことに驚きました。
今まで支援というものに関わるとしたら、病院だったはずです。
それが大学の先生達が支援の中心になっていました。
そんな大きな体制があるということが、精神疾患の親をもつ子どもがあたりまえに支援される状況に変わったのだと感じさせてくれました。

その三重県の会に参加したときは、東大阪市にあるオラシオンの辻本さんから、オラシオンで行っている訪問看護についてお話を聞く会でした。
訪問看護やアウトリーチ(訪問支援)など、聞いたことがない言葉でいっぱいでした。
精神疾患の親をもつ子どものアウトリーチに入った体験もお聞きしました。

世の中が新しい世界に変わったんだと思いました。
自分が動いてあきらめずに支援者を探せば、自分を助けてくれる人は見つかるだろうと思いました。
三重県の会「親&子どものサポートを考える会」やNPO法人「ぷるすあるは」のホームページに出会ったこと、三重県の会に参加して、子どもの立場の人と出会ったこと、多くの支援者に出会ったこと、辻本さんからお話を聞いたことが、「私も支援されていいんだ」と感じた体験でした。

対象でないと思っていた理由

では、なぜ支援の対象ではないと思っていたのかを考えます。
「支援」という言葉自体をあまり聞いたことがありませんでした。
幼いときから、「子どもは親を養うもの、一生子どもは親の面倒を見るもの」と言われてきて、特に疑問もありませんでした。
何を支援してもらうのかもわかりません。
母の症状が強かったのは、私が0歳から7歳くらいまでです。
幼すぎて、言われたこと、現状を受け入れることしかできなかったんだと思います。
誰かに支援されているから、私は今、生きていると思いますが、「助けられた」と感じた体験がなかったんだと思います。

 


孤立から ~きょうだいの立場 
著者:木村諭志(埼玉県立大学 保健医療福祉学部 看護学科 精神看護学 助教)

 

私は、統合失調症の姉をもつ弟の立場のきょうだいです。
私が中学生になったばかりのときに高校生の姉が発症しました。
「私も支援されていいんだ」と感じた体験は、ここ最近の話にはなりますが、看護師としての経験を積み、看護大学に編入してからでした。

恩師や他のきょうだいから

在学中には卒業研究で精神障害者のきょうだい研究に取り組み、他のきょうだいの方達や家族支援の研究者である恩師との出会いがありました。
初めて自分以外のさまざまなきょうだいの体験を知り、自らも語ることで、「1人ではない」という孤独感からの解放があり、肩の力がふっとぬけたのをよく覚えています。
同時に、他のきょうだいが自分自身の人生を歩んでいることを知ってうらやましく思いました。

そのとき、よき理解者である恩師からの「きょうだいにはきょうだいの人生がある」という言葉が、
「私も、姉のことを1人でかかえこまなくてよいのではないか?」と気づかせてくれました。

他のきょうだいの存在や恩師の言葉からは「自分自身の人生を歩んでもよい」という選択肢をもらえ、「将来は、私が姉の面倒を見なければならない」としか思い描けていなかった未来を変えるきっかけになりました。
「自分自身が看護師となって姉の支援者にならなければいけない」と思いこんでいましたが、私を理解してくれる存在との出会いが、逆に、
「私自身が支援をされてよかったんだ」という価値観に変えてくれました。

対象でないと思っていた理由

一方で、姉が発症した当時中学生だった私は、「支援の対象ではない」と感じていました。

それは、家族が病気の当事者である姉を中心とした生活になっており、思春期の私は社会からも家族からも孤立をしていたからだと思います。
発症当時の姉は、幻覚・妄想状態で、「ねらわれている」と急に外に飛び出してどなり声をあげ、警察のお世話になることもありました。
両親は、世間体を気にしながらも共働きだったため、中学生だった私に薬の管理や見守りを託し、
「お前が面倒をみろよ。(姉のことは)まわりには誰にも言うなよ」と言い続けました。
当時は偏見や「家族のことは家族で何とかすべき」という風習もあったのかもしれません。

なくなる居場所

しかし、姉の暴言や暴力が増え、病院にもかかりましたが説明を受けるのは両親のみで、当時中学生だった私は蚊帳の外でした。
情報もなく姉に何が起こっているのか理解もできないまま、姉を中心とした生活をおくる中で、家族といるときも居心地は悪く、居場所がなくなっていきました。
家族と社会のどちらにいるときにも無理をしてとりつくろい、私自身が助けを求められなかったことで、周囲から孤立していきました。

当時の私は知識や行動力もなく、発達段階の未熟な状態で、親の言葉の影響力も大きかったのだと思います。
そして親に認められたい思いもあり、姉のことを優先し、自分の生活を後回しにする選択しかできませんでした。

結果、私は耐えきれずに中学3年生になる頃には、学校に行かない、家出をする、ゲームの世界に入りこむ等、自らが心休まる場所を探して現実逃避をせざるを得ない状況に追いこまれました。

望んでいること

これまでの私をふり返ってみると、安心できる居場所がなく自分自身を後回しにした中学時代をおくったことが、後には存在意義を求めて家族のために看護師という支援者の立場になる選択をすることになったのだと思います。

姉のような当事者に関わる保健医療福祉の支援者やSOSを出せない幼いきょうだいの教育者の方達が、きょうだいの存在にも関心を向け、小さな変化に気づき、安心して相談できる存在や居場所になってくれることを心から望んでいます。

 


場の力 ~配偶者の立場
著者:荒木裕美子(石川県)


対象でないと思っていた理由

「支援」とは障害がある当事者が受けるもの、と思いこんでいました。
以前勤務していた視覚障害者団体では「支援される人」は当事者、「支援する人」は援助職や私達見える人という役割が前提にありましたし、そのご家族は「当事者を支えて当然」と疑いもなく考えられていたように思います。

当時は職員として、ご家族のたいへんさを思いやることはありませんでしたが、今思うと「当事者を生活の中で支え続けていくことは、決してあたりまえのことではなかったのだな」と痛感します。

変化する悩み

夫がうつ病を患ってから十数年が経ちます。
すでに病気が生活の一部となり、私も適度に爆発(笑)しながら暮らしていますが、重苦しい日々をおくってきたのも事実です。
私自身の悩みの種類も、その時々で変化してきました。
夫への対応に悩んだ時期、
育児や生活全般をひとりでかかえて孤独を感じた時期、
このまま夫の病状をうかがいながら、夫中心の生活をおくる毎日でよいのかと自分自身の生き方に迷う時期もありました。

相談できる人がいない

相談できる人はほとんどいませんでした。
友人や家族に話しても、自分がダメな妻だと責められているように感じたり、離婚をすすめられてショックを受けたり。
いつしか「話してもムダだ」と思うようになっていました。

「いろいろあるけど、私は夫とパートナーとして共によりよく生きていきたい」
そう願っているだけなのです。
でも、病気に対する理解があり相談できる場を見つけられないまま何年も過ごしてきました。
私と同じ立場の人は多いはずなのに、皆さんどうしているのだろう?

同じ立場の人との出会い

そんなおり『心病む夫と生きていく方法』(出版・ペンコム)という本に出会いました。
私と同じような体験をしてきた方々のお話を読むことで、これまでの孤軍奮闘が認められたように感じ、とても勇気づけられました。
配偶者の立場ならではの苦労や困りごとがあり、配偶者自身に対する支援が少ないという内容にも非常に納得しました。
また「精神に障害がある人の配偶者・パートナーの支援を考える会」の存在を知り、Webミーティングにも参加しました。

同じバックグラウンドを持つ参加者が自分の体験を話し、受け止めてもらえる安心で安全な場がそこにはありました。
話すことで自分を客観視でき、共感してもらうことではげまされ、ある人の体験が誰かの知恵や知識になる場合もあります。
臨床心理士や精神保健福祉士などの専門家も参加され、その場で悩みや疑問に答えてもらえる場面もあり、非常に心強く感じました。
参加者それぞれにたいへんな最中ですが、会の終わりには表情が明るく変化している方も多く、語り合う場の力を感じました。
もちろん、私にもこれまでの自分をねぎらい、いたわる大切な時間でした。

家族への支援

当事者への公的・直接的な支援とは別に、家族へのこのような支援の形があることをもっと早く知っていたなら、配偶者としての心理的負担が軽くなっていたかもしれない、と切実に感じています。

私達配偶者が健やかであることが当事者にとっても一番望ましいことであるはずです。
配偶者・パートナーの集いへのデビューから間もない私ですが、配偶者版家族学習会や担当者養成研修会へも参加し、今後は「自分の住む地域でこのような場を作りたい」と考えています。
つながり語り合い学び合うことで、心の荷物を少しおろし、また前を向いて歩き出そうと思えるような場所になればいいな、と思い描いています。

 

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