働けない・働かないという生き方(本人)


こころの元気+ 2013年7月号特集より


特集2
働けない・働かないという生き方


求人がない
長野県 のら猫さん


自分は長野県の48歳男です。

年明けに勤務先をリストラされ、現在うつ病・精神障害者2級をクローズドで求職中です。
幸い病状はそこそこ安定し、病院でもハローワークでも就労にはさしつかえないということで職探しをしているのですが …。

ハローワークで障害者枠担当者に最初に言われたのが「当地では精神障害者に対する理解がないので、求人はほとんどないですよ」でした。 なるほど、障害者の求人は月に20~30件程度あるのですが、どれも「階段昇降があります」とか「バリアフリー対応です」といった注意書きがあり、身体障害者対象の求人ばかりです。
一般枠の求人にも応募して面接を受けましたが、理由はわかりませんが不採用になってしまいました。
電子機器製造関係にフルタイムで就きたいのですが、めったに求人はありません。 仕方ないので、業種問わず働けそうな所に片っ端から応募してみても、「この会社は身障者の女性しか採らないよ」などとハローワークの担当者に言われて紹介状すら出ない状況が続いています。

一社だけ精神障害者雇用を謳っている所がありましたが、長野県の最低賃金しか出ないので月給8万4000円、これでは生活できません。
就職困難者ということで雇用保険は360日分出ますが、前の職場の給料が安かったこともあり、預貯金もたいしてないため金銭面も不安です。 実家に居候し、親の年金を食い潰して生活している毎日を1日でも早く解消したいのですが、求人そのものがないのでは話が始まりません。

親は「早く就職しろ」と言うだけで何の助けにもなりません。友人知人もないので、コネというわけにもいきません。本当につらい毎日です。
このままでは就職できないストレスで病状が悪化してしまいそうで怖いです。


踏み切れません
愛媛県TAKさん


平成8年に統合失調症を発病して19年まで入退院をしつつ、ずっと通院しながら、会社員をしていました。
心身ともに行き詰まりを感じて退職し、愛媛の山里で両親が始めていた農林業を手伝って、5年半が過ぎました。

通院は続けており、ドクターは「障碍者雇用で雇ってくれるところはあると思う」と言っているのですが、この土地には企業も少なく、なかなかむずかしいと思っています。
また、大都市でひとり暮らししながら、会社員として雇用されることはストレスフルで病状を悪化させるような気もしており、躊躇しています。
農作業やウォーキングで体がなまらないようにはしていますが、フルタイムの会社員が務まるか自信がありません。
特に、会社員は毎日定時で帰宅できず、薬をのみ忘れたりすることも不安です。そうなると、また再発して入院することになるかもしれません。

リスクを恐れずチャレンジするのも大切ですが、そろそろ 歳も近いので、なかなか次の就職に踏み切れないでいます。 また、一応年金で倹約すれば、生活ができるということも踏み切れない理由でもあります。

 


家事も介護も
岐阜県 りんどうさん


昨年入院歴のある、躁うつ病になって20年以上経つ40代の女性です。
20代の若い頃は、働こうといろいろとがんばってみました。

小学校教諭・派遣社員・コンビニでバイトと経験してみたのですけれど、どれも、上司ににらまれて叱られ、うつになり辞めるパターンでした。 思えば学生の頃、家でも学校でもいい子で、叱られた経験がほとんどなかったせいもあると思います。 働いた先の上司たちも、私の何がそんなに気に入らなかったのか、今となっては聞く由もありませんが…。

また仕事を始めたいとは思いません。
若い頃とは違い、両親が高齢化して毎年誰かが入院しているのが、ここ何年かのわが家の状態です。 家族の入院がストレスとなり、そのうえ薬をやめて昨年は私まで入院しました。

母は腰が悪いので、もう掃除ができず、 部屋3個のトイレ、長い2つの廊下、玄関と車庫の2つの階段を全部私が掃除しています。 私がいなければ誰かやると思っていましたが、去年退院してきたときは家の中、特にトイレが汚かったです。

兄も弟も独身で家にいますが、甘やかされて育ったので、自分の仕事さえしていればあとは家庭のことは顧みない感じです。
両親どちらかが入院しているとき、頼めば家事をしてくれましたが、長続きしません。 私は夕飯の手伝いもあるので、今は家事手伝いをしながら精神的には親の介護の段階に入っています。

親が亡くなったら、兄も弟もいつまでも独身というわけではないでしょうし、そうなったら施設にお世話になるか生活保護で暮らしたいと思っています。
でも、いい人にめぐりあったらという私自身の結婚の夢を捨てたわけではありません。

 


雇ってくださいとは言えません
埼玉県 市川左千子さん


私は病気になってから一度だけ仕事をしたことがあります。小さい老人施設の夕食の調理でした。
面接のときに「私は躁うつ病の精神障害者です。それでも雇っていただけますか?」と言いました。 私の両腕にはリストカットの無数の傷があり、仕事中にバレるのなら最初から言ってしまおうと思ったのです。
仕事の内容は夕食の献立づくり・材料の発注・調理・片づけ。これを1人でやります。 週3日入っていました。夕食担当は私だけでした。

躁状態で仕事を決めていたので、仕事を始めてしばらくは調子よく仕事をしていたのですが、やはりうつはやってきます。
3か月ほど経った日うつがきました。
もちろん仕事に行けません。1か月以上休みました。

仕事に復帰したとき、所長は「病気だとわかっているからだいじょうぶだよ」と言ってくれました。 でも、仕事を休んで申し訳ないという気分で週5日仕事を入れてしまいました。
案の定、またうつがやってきて、無理があったのか長く寝こみました。 休んだ罪悪感に潰されて仕事を辞めてしまいました。

今は仕事をする勇気がありません。 どんなにがんばってもうつはくるし、最低1か月は休んでしまいます。
こんな責任感のなさで、雇ってくださいなんて言えません。