特集1 人生をあきらめない(181号)


特集1 人生をあきらめない(181号)
※「こころの元気+」2022年3月号より
○戻る

著者:ともみ
(精神対話士、ASK認定依存症予防教育アドバイザー等)

 

お酒と拒食

私は結婚した頃から、食べ物がうまく食べられなくなり、お酒を朝から飲むようになりました。
幸せなはずの新婚生活は、私の極度のやせと嘘をつきながらの隠れ酒で不穏な空気に包まれました。

初めは内科に何回も入退院をくり返しましたが、首からカテーテルでの高カロリー輸液が耐えられず、引き抜き、病室は血まみれになりました。
すでに命も危ない状態で、不整脈から一時心停止をしたこともありました。

それから精神科につながり、摂食障害の拒食の診断を受けるまで私には病識がなく、
「自分はまだいける、まだどこも悪くない」
と本気で思って、お酒の力を借り家事に仕事に介護に、と忙しくしては倒れることのくり返しをしていました。

今日1日を生きるため

精神科には二度の措置入院(そちにゅういん)をし、初めは身体拘束で鼻からチューブで栄養を入れていましたが、食べられるようになってから過食嘔吐になりました。
その過程で処方薬にも依存し、かかっていた病院以外に3軒くらい薬目的で通っていました。
ミントの入れ物に白い錠剤をザラザラ入れて、それを噛んでお酒で流しこんでいました。
カバンには、いつもそれとペットボトルに移し替えたストロングチューハイが入っていました。
カバンにはタバコも入れ、ここぞとがんばらなければならないときには、それで内腿を焼いて気合いを入れていました。
解離防止にも自傷を使いました。

常に心がザワザワとしていて、不穏でじっとしていられず、自傷、食べ吐き、薬、アルコール、そのどれかを取っ替え引っ替え使いながら、しのいでいました。
当時の私には今日1日を何とか生きるために、それらが必要だったのだと思います。

しかし、不適切な行動をしていることもわかっていて、やめねばならないのにやめられない自分に毎日失望し、家族を巻きこんで迷惑をかけてばかりの自分を自己否定し、
「こんな人間は生きている価値がない、きっとこれから悪くなる一方だ、一刻も早く消えたほうが世の中のためだ」
と自分を責めていました。

私自身が25歳のときに母を自死で亡くしていることもあり、後の家族を考えれば自殺するわけにはいかない、けれどどう生きていけばいいかわかりませんでした。

転機

転機は、アルコール依存症の診断を受けたことでした。
アディクション(依存症)の反対語はコネクション(つながり)』、
といわれるように、人とつながり人を頼ることが、私の回復の第一歩だったように思います。
人を信じることができず、1人でがんばることが実は一番よくなかったのだと思います。

入院によるアルコール依存のリハビリプログラムを受け、自助グループに通い、自分の過去をふり返っていき、自分の硬直した思考や傷つき、怒りに気づきました。
また、仲間のあたたかさや真摯な姿勢に癒され、はげまされながら、少しずつ手放したいものを手放していきました。
素面で自分と向き合うのはつらいことでしたが、だから仲間が必要なんだと思います。

幼少期、家庭内暴力で心身共に傷だらけになって施設に入り、
「1人で生きていかねばならぬ」
と肩肘張って鎧をまといながら、怒りのパワーで生き残ってきた私でした。
孤独な自立心、それが仇となり、あらゆる問題を1人で解決しようとかかえこむ癖がありました。
それが依存症を呼んだのだと思います。

しかし、人生をあきらめずに、粘り強く耐え、依存など含めてあの手この手を使いながらも生き延びてきたから、光がさすチャンスに出口を見つけられたのだとも思います。

過去を価値に

私にとって、過去をふり返ることは、散らかった部屋を整えて心を軽くし、外の世界へ踏み出すということでした。
精神科に入院したときに読んだフランクルの『夜と霧』の一節が、今も私の希望となっています。
《人生に何かを期待するのではなく、人生が我々に何を期待するのかを考える》

私は今、過去を価値に変えていきたい、そう思いながら筆をとっています。
自分の人生を受け入れ、救われた命を大切に、そして、いつも私のことをあきらめずに支えてくれた人達に心から感謝して、今日1日を生きています。

 

○戻る