これからは科学的な根拠にもとづく医療とサービスの時代です


「こころの元気+」2007年4月号より


 これからは科学的な根拠にもとづく医療とサービスの時代です

大島巌/日本社会事業大学精神保健福祉分野(大学教授)


「科学的根拠にもとづく医療・サービス」って?


まず、「科学的根拠にもとづく医療・サービス」とあらためて聞くと、少し不思議に感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。なぜなら、「医学」とか「医療」というと、もちろん当然のように「科学的」に行われているもので、「わざわざ『科学的根拠』を付けるのはちょっと変」と思われる方もいるのではないかと思うからです。
でも実際は、少なくとも十数年くらい前まで、医療専門家の間では必ずしも「あたりまえ」ではなかったのです。「科学的根拠にもとづく医療」は、エビデンス・ベイスト・メディスン(Evidence-Based Medine)、略してEBMの日本語訳です。
この言葉が医学・医療の世界において、強い支持を得て急速に広まったのは、世界的に見てもごく最近の一九九〇年代、日本では平成の世になってからのことでした。それも、この「あたりまえ」のことが、医療関係者の間でここ十数年間にある面で「熱狂的」に受け入れられてきた事実に注目していただきたいと思います。
科学的根拠にもとづく医療(EBM)とは、直感やあやふやな経験に基づく医療ではなく、科学的に明確なエビデンス(証拠)にもとづいて、最適な医療や治療法を選択し実践するための方法、あるいは行動の指針のことです。
もちろん保健・医療の領域では、これまでにも科学的な根拠は重要だという関係者間の合意があったことは事実です。ところが、実際には多くの医療技術や知識が、医療社会の「徒弟制度」のなかで、「名人芸」的に伝達されてきた側面が少なからずありました。さらには、科学的な根拠を医療関係者のなかで、共通の財産とするための手だてや方法も見つかっていなかったのです。
これに対して一九九一(平成三)年にカナダのマクマスター大学のガイヤット(Guyatt)らが初めて科学的根拠にもとづく医療(EBM)という言葉を用いて、この言葉と考え方を世界的に発展・普及させました。それ以来、科学的根拠にもとづく医療EBMは、医療における新しい時代の大きな流れをつくるようになったといえます。
これには、医療関係者の多くが合意できる、①科学的な無作為化比較試験(あるいはランダム化比較試験)RCTの方法の広まりや、②その結果を整理して「科学的根拠」の強さの程度をまとめるシステマティック・リビュー(系統的な文献検討)という情報を共有するための方法が発展して、さらには、③それら科学的根拠に基づいて医療EBMを進めるための指針(治療ガイドラインなど)をつくっていこうとする合意が、医療関係者間に得られるようになったことも重要でした。
お薬の処方の指針に関しては、アルゴリズムといって、患者さんの置かれている状況に応じて最適の治療薬を、科学的根拠にもとづく優先順位にしたがって投与する方式も提案され、検討が進められています。
治療ガイドラインには、アメリカ精神医学会の治療ガイドライン、英国政府NICE(ナイス)のガイドラインなどがあります。
アルゴリズムには、アメリカのテキサス・アルゴリズムやアメリカ連邦政府のメドマップ(MedMAP)などがあります。


「科学的根拠」がなぜ注目されるようになったか?


 

保健・医療・福祉を含む、すべての対人サービスの領域にわたって、サービスの質をよくしていこうとする考え方が社会全般に広がってきました。そのためにサービスの「質」を適切に評価して、その結果を専門家だけでなく、社会のみんなで判断しようという流れができています。
皆さんは、フランスレストランで、三つ星レストランなどという言葉を聞いたことがないでしょうか。ミシュラン・ガイドの格付け評価が有名ですね。これは、ミシュランという会社が、独自の物さしでレストランの料理やサービスの「質」を判断して、レストランごとにランクを付けてガイドブックで紹介したのが始まりでした。それが、社会の幅広い支持を得て、多くの人たちに活用されるようになったのです。このような方式が、いま医療サービスや福祉サービスなどでも行われるようになっています。
たとえば、「病院機能評価」では、日本医療機能評価機構という公的機関が評価を行って、病院として適切な機能をもっていれば、その病院をよい病院として認め(認証し)、社会に公表します。
このような情報は、サービス利用者がサービスを利用しようとするときにはとても役立ちます。
このように、保健・医療・福祉サービスでは、よりよいサービスがいつでも提供できるようにと社会のきびしい目が向けられるようになりました。特に保健・医療サービスは、治療や援助の効果に科学的な根拠があることが重要な意味をもちます。当然のことですが、治療や援助を行う以上、社会的に意味ある成果を上げなければいけないからです。
そしてよい治療やサービスの基準として、科学的な根拠があるかどうか、その根拠はどのくらい確からしいのかなどが、問われるようになったのです。一方で、個々の治療場面では、患者さんたちの状況に応じて、どの治療法や援助サービスがどのくらい効果的かを、医師や専門職が患者に説明することが求められるようになりました。
このようななか、治療や援助サービスの効果について、①科学的根拠を研究的に「つくり出す」だけではなく、②科学的根拠を「伝える」ことや、③「使う」ことも重要だと考えられるようになってきたのです。


当事者にとって、なぜ「科学的根拠」が重要か?


精神保健福祉サービスの利用者にとって、治療や援助サービスの「科学的根拠」は重要です。
それは、自分たちがよりよいサービスを適切に受けるために、「科学的根拠」をよく知っておく必要があるからです。
「科学的根拠」を知っていれば、受けている治療やサービスの内容や意義をよく理解できますし、治療者・援助者と治療やサービスについて話し合うこともできるでしょう。
「徒弟制度」の「名人芸」では、「しろうと」には口出しができません。しかし、「科学的根拠」があれば、その根拠や事実にもとづいて、専門家とある面では対等に、よりよい療養生活をおくるための方法についていっしょに話し合いを持つことができるのです。
これは、精神障害をもつ方々が、主体的に自らの療養生活を営んでいくためにとても重要なことです。これからの精神保健福祉で最も求められる最も重要な方向性の一つといえるでしょう。
当事者・サービス利用者は、一般的には科学的根拠を「つくり出す」ことはできません。しかし、科学的根拠を仲間同士で充分に「伝え」合い、役に立つ形で「使」いこなし、活用することはできます。
イギリス政府NICEがまとめている治療ガイドラインでは、医療サービスの利用者が大きな位置づけと役割を持っています。そして、NICEの各種ガイドラインには必ず利用者のためのガイドラインが存在します。そこでは、利用者の視点に立って、治療や援助サービスの科学的根拠をどのように活用するか、に関する情報提供がされています。


おわりに―― これからは科学的な根拠にもとづく医療とサービスの時代


このような新しい流れを私たちは強く意識していきたいと思います。「科学的根拠にもとづく医療とサービス」の重要性は、まず、その医療・サービス内容の質が、科学的根拠にもとづいて、いつでも高く保たれる仕組みを用意できる点にあります。
それとともに、精神保健福祉サービスの利用者を含む社会のさまざまな人たちが、治療法や援助サービスの利用方法を、精神保健福祉専門職の方々と一緒に、対等な立場で考えることができることも重要です。
「科学的根拠」という事実の前では、すべての人たちが同じ平面で向き合うことができるのです。そのなかで、精神障害をもつ方々は、ご自分にとって最もよい療養生活の営み方を主体的に選び取ることができるようになります。精神保健福祉治療・サービスの「科学的根拠」を、精神保健福祉サービス利用者の皆さんが、より適切に、より充分身に付けることが、ご自身の「元気回復」にとって大きな意味をもつ時代になってきたといえるでしょう。