特集5 避難所、避難生活で、あらかじめ知っておきたいこと


特集5
避難所、避難生活で、あらかじめ知っておきたいこと

一般社団法人 ふくしま心のケアセンター
精神保健福祉士 松田聡一郎

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避難の開始
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防災リテラシーという言葉をごぞんじでしょうか?
防災リテラシーとは「災害に関わる情報を活用する能力」と定義されます(※1)。
東日本大震災の際、津波のときはてんでバラバラに逃げることを意味する「津波てんでんこ」を知っていたことで、津波から逃れた人がいました。
情報を活用する能力には、昔からの言い伝えなどの情報(知識)を活用することも含まれるといえます。
では、精神に障がいがある人が災害時に知っておくべき情報(知識)は何でしょうか?

最近の災害時のニュースでは、避難勧告(2021年5月から避難勧告はなくなりました)に先立って「避難準備・高齢者等避難開始(2021年から高齢者等避難に)」という言葉がよく使われます。
しかし、この「高齢者」の中に障がい者も含まれることはあまり知られていません。
この言葉が使われたときは、逃げ遅れを防ぐために避難を開始するときであることを覚えておいてください。
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逃げる場所
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次に、逃げる場所として、「指定緊急避難場所」と「指定避難所」の違いが大切になります。
指定緊急避難場所は、まず初めに逃げる場所であり、指定避難所は、ある程度の期間にわたって生活ができる避難所です。
また障がい者や高齢者のために、指定避難所の代わりとなる「福祉避難所」が指定されています。
具体的な場所を市町村に確認してみることをおすすめします(※2)。

改定されました福祉避難所の確保・運営ガイドラインの改定(令和3年5月)

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薬について
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さて、災害の後に避難できたとしても、普段のんでいる薬を家に忘れたり、なくしたりすることがあります。あらかじめ、薬やお薬手帳の写真を携帯電話などに撮っておくと便利です。
避難所にはDPAT(災害派遣精神医療チーム➡PDFの24頁)などが派遣されます。
薬がない場合はぜひ相談してみましょう。
ただ、東日本大震災のときには、初期の医療チームが去った後に服薬が継続できず、病状が悪化する人が増えたといわれています。
避難先の精神科医療機関と新たな関係を築くことは意外にたいへんなことです。
避難所では、さまざまな支援者が声をかけてくれます。
「この人なら相談できそうだ」という人がいれば、小さなことでもいいのでぜひ相談してみてください。
自分の病気や体調を知っておくこと、そして一人でかかえこまないことが、実は、精神に障がいがある人にとって一番大切な防災リテラシーなのではないでしょうか。

※1:立木茂雄「誰ひとり取り残されない防災をめざして」国民生活(2018.9)12ページより

※2 各市区町村では洪水や地震などによる被害予想や避難所などを地図に示した「ハザードマップ」を作っています。
「国土交通省ハザードマップポータルサイト」で地域ごとに検索できます(https://disaportal.gsi.go.jp/)。
ネットを使わない方は、役所の窓口(総務課や生活安全課など)でももらえるところもあると思うので、電話して確認してみてください。

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避難所での体験談 (宮城県)フカヒレさん
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東日本大震災が発生した日、私は高校にいました。
当時、翌日の大学入試の最終確認を終え、帰宅するためのバスを自習室で待っていました。

携帯電話の緊急地震速報の通知が響き渡り、間を置かずに自習室が大きく揺れました。
先生の指示に従い机の下にもぐり、揺れがおさまるのを待ちました。約1分半後に揺れはおさまり、校内中の生徒や職員が校庭に集合しました。
あれよあれよという間に、体育館に避難所が設営されました。
生徒や先生のほか、津波から逃れるために避難してきた人が徐々に集まっていき、体育館はあっという間にすし詰め状態になりました。

日が沈み、夜は同級生や後輩と一緒に行動していたものの、不安でいっぱいでした。
目先のことで言えば大学入試や家族の安否、ラジオから絶え間なく聞こえてくる津波被害の甚大さ。
気分転換に外に出てみても、校庭から真っ赤に燃える内湾が見えて、ぼうぜんとするしかありませんでした。
眠ろうにも刺激が強すぎてあまり眠れませんでした。

翌日に家族全員の無事がわかり、いったん一家で帰宅して着替えてから、知的障害者施設に避難することになりました。
私と両親はプレハブの作業室、前日から避難していた妹は施設の食堂に泊まることになりました。
石油ストーブをつけていただいたり布団をお借りしたりしましたが、すきま風が入ってきて、とても寒い一夜だったように思います。

夜が明けてから自宅に戻り、一家そろって朝食をとりました。
地震で散らかった部屋を片づければ何とかなると両親が判断し、私達家族は自宅避難生活に切り替えました。
たった2日間だけ避難所で過ごしましたが、刺激があまりにも多かったです。
寝泊りをするスペースの環境だけでなく、地域の被災状況、何よりもこれからの暮らし向きへの不安や家族の安否――。
もしも家が津波によって流されていたら気疲れしながらの避難生活になったのではないか、と震災から8年経った今なら思います。