特集3 災害を体験した人からのメッセージ


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身をもって学んだこと(茨城県)まゆかんさん
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――命拾いして――

 東日本大震災で被災した、当時32歳の統合失調症当事者の女性です。
 私が自宅で机に向かっていたときに揺れ始め、驚いて同居の父のいる階下へ。直後に倒れたタンスが机を直撃、命拾いしました。
 家の中は家具が倒れ、食器はほとんどが割れ、ライフラインが停止。
 くり返す余震の中、仕事場から大渋滞を避けて母が徒歩で帰宅。
 近所には要介護の祖父母がおり、無事を確認して家の中を片づけました。
 翌日からは、生きるために家族で動き始めました。
 片づけ、買い出し、ガソリンの入手…やるべきことは山積みでした。手に入らないものは買い置きや工夫でしのぎます。
 そんな中、私は当時交際していた一人暮らしの統合失調症の当事者男性が気がかりでした。
 停電中なので携帯電話の電池は節約ですが、メールで無事を確認し、思い切って母に、「彼のアパートの片づけを手伝う、しばらく泊まるかもしれない」と伝えると、わずかな備蓄の食料を持たせて車で送ってくれました。
 彼は、荒れ果てた部屋でぐったりしていました。
「あまりのことに何もやる気がしなかった」と青白い顔。
 あたりまえです。
 私だって、ひとりで被災したら動けなかったでしょう。守り合う家族がいたから必死にやるべきことを見つけ出せたのです。
 食事もとっていないそうで、まずは持ってきた食べ物を食べてもらいました。
 何とか人が住めるように半日働き、後は彼とできる限り入手できる水や食料やガソリンを求めて回りました。

――薬と現金があったおかげで――

 幸い震災の直前の診察で、薬が4週分あったのと、数万円の現金を手元に残しておいたことで、私達は生きるための行動と休養とをくり返すことができました。どちらがなくても、この生活は破綻していました(※)。
 ライフラインの復旧をめどに私は自宅へ帰りました。
 その後、彼から感謝の気持ちを伝えられ、私は彼のアパートで一緒に暮らすことになりました。困難にともに立ち向かったことで互いへの愛情が深まっていたのです。
 数年後彼とはお別れしてしまい、私は別の男性と結婚しました。けれど、このときのことは忘れられません。

――人とのつながり――

 非常時は「誰か」がいるからがんばれるのではないでしょうか。
 家族恋人友人…人とのつながりは、いざというとき自分を強くします。そして、その強さでともに耐え、前進できるのではないでしょうか。
 私は震災でそれを身をもって学んだと思っています。

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感謝(福島県)志賀千鶴さん
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 統合失調症、60代女性です。
 私は東日本大震災による原発事故のため、避難している者です。今までに避難先を7か所転々としました。
 移動先は次のとおりです。
①体育館(福島県浪江町津島地区)2日間
 おにぎり1つを3人でわけてくださいと。
②一般の住宅(福島県二本松市)2日間
 泊めてくださり、感謝です。
③体育館(福島県二本松市)1か月
 幻聴さんがやってきたぁ~。たいへんだぁ~。
④民宿(福島県猪苗代町)
5か月
 あたたかいものが食べられたね。幸せ。
⑤仮設住宅(福島県二本松市)6か月
 一人暮らしのスタートです。
⑥みなし仮設(福島県二本松市)6年
 二本松市が、もうひとつの故郷になりました。
⑦災害公営住宅(福島県浪江町)8か月~
 浪江町にやっと戻ってきました。
 このように、避難先を移動するのに不安がありました。
 次のような不安もありました。
○病気症状の悪化の不安
○事務手続きの不安
○引っ越しの不安
○新しい地域への不安
○先がみえない不安 
等、不安だらけでした。
 そこをくぐりぬけ、7番目の移動先は浪江町です。やっと戻ってきました。ほっとしています。
 ただ、浪江町は何もなく不便なことだらけです。
 でも、戻ると決めたのは私自身です。私の決めた道を進んでいきます。
 そして何より、皆さんの応援がありがたかったです。日本の皆さんはもちろん、全世界の皆さんに応援してもらいました。ありがとうございます。そのおかげで、私は元気に生活しています。本当に感謝です。

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知り得ない(兵庫県)かがやき神戸 橘亨さん
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――強く感じたこと――

 阪神・淡路大震災(1995年)から24年…。
 あの日のできごとは忘れたくても忘れることができない、また決して忘れてはならないことであると思います。
 24年前の震災で私が強く感じたことは、
「今の生活が続く保証はどこにもない。自分の命が、いつどのような形で失われても、おかしくはない」ということです。
 災害が、いつどこでどのくらいの規模で発生するのか、自分の命がいつ失われてしまうのか…。
 これを事前に正確に知ることができれば、災害から自分の命を守ることも、災害による犠牲者を最小限にとどめることもできます。
 しかし、国内で阪神・淡路大震災や東日本大震災を上回る大災害が起こるのは、明日であるのか、1時間後、あるいは30秒後であるのかは、人間には知り得ることはできません。

――正直な気持ち――

 私は、精神障がい当事者という立場で共同作業所を利用するようになってから、過去はなるべく少しだけふり返るようにして、
「これからを、どのように生きていくのが自分にとって最も好ましいのかを考えて、実践するようにしなければならない」と思うようになりました。
 でも、自分もいつかは死んでこの世からいなくなることは確かなことなので、今は作業所のメンバーや職員さんと一緒に施設内作業をほどほどにがんばり、イベントやレクレーションを楽しみながら、将来に少しでも希望を持って暮らしていけたらいいなというのが正直な気持ちです。
 将来に来るかもしれない災害に備えて、事前にどのような準備が必要なのかは、人それぞれにいろいろな考え方があると思いますが、私が精神障がい当事者の方々に届けたい言葉があるとすれば、
「どのような状況に置かれても、命がある限り幸せに生きていくための努力を放棄しないでほしい」ということです。

※大規模災害時には、預金通帳やカード、印かんがなくても、本人を確認できれば、銀行でお金をおろすことができます。