「こころの元気+」2015年11月号(105号)より ※「こころの元気+」とは→コチラ
情熱のメッセンジャー冠地情の「コミュニケーション実験道場」より
冠地情(かんち・じょう)
●小学生の頃から不登校・ひきこもり・いじめの三冠王でした。
成人後に発達障害(ADHD&アスペルガー症候群の混合型)の診断を受けて、現在は発達障害のある大人の当事者団体「イイトコサガシ」の代表です。
あいさつは何のため?(連載の22)
地元のミーティングで、「最近の若者はあいさつをしない」という話題が出たときの話です。
私は、あいさつが大切なのではなく、その先にある楽しいコミュニケーションをイメージすること、試行錯誤することが大切…と話しました。
あいさつをゴールにするのではなく、スタートにしましょう、と。
私自身、ひきこもっていた頃はほとんどあいさつをしませんでした。
なぜでしょう?
理由が見当たらなかったからです。
生きづらさが重いときは、日常の予定調和がわずらわしいからです。
しかし、今は違います。自ら積極的に明るく、あいさつをします。
なぜでしょう?
あいさつからいろいろな何かが始まる可能性を実感しているからです。
楽しいコミュニケーションを始めたければ、相手と創りたければ、第一印象でその気持ちを伝えたほうがよいに決まっているからです。
と、私が話した後のミーティングはどうなったか?
不思議なことに「あいさつが大切」という話になってしまいました。あいさつにはこんな意味がある、こんなよいことがあった、というふうに。
私は苦笑いするしかありませんでした。
「皆さんは変わりたくないのですね。今のままがよいのですね」と。
すると最後の方が、
「あいさつが大切と言われて学校で命令のようにやらされてきましたが、楽しいコミュニケーションを始めるためにあいさつがある…と言われてやっと腑に落ちました」と言ってくださり、私はほっとした次第です。
そうなのです。
「あいさつが大切は常識になっている」と言っても過言ではありません。
テストで、「あいさつは大切? 必要ない?」と出題すれば、ほとんどの人が大切に丸をつけるでしょう。
でも知っていてもやらない…それが現状です。
形式としてのあいさつだと、これ以上広まらない、ということだと私は思います。
だとするなら必要なのは、楽しいコミュニケーションをめざす人、です。
そうすれば自然にあいさつが増えると思うのですが、皆さん、いかがですか?