相模原事件の容疑者が起訴されたことについて


(2017年2月24日)

認定NPO法人 地域精神保健福祉機構・コンボ 共同代表 宇田川健

まず、相模原殺傷事件を巡る経過を報道から振り返ります。

≪2012年≫
12月 1日 植松聖容疑者が「津久井やまゆり園」で勤務開始

≪2016年≫
2月15日 容疑者が衆院議長公邸を訪れ、施設襲撃を予告する手紙を渡す
同 16日 神奈川県警津久井署が施設に手紙の内容の一部伝える
同 19日 容疑者が施設側と面談時、障害者差別の発言を繰り返し自主退職。署が相模原市に通報、市は緊急措置入院決定
同 22日 「大麻精神病」などと診断され、市が措置入院を決定

3月2日 措置入院解除
同 5日 署が施設側に「障害者大量殺人の思想を持っている」と説明

7月26日 入所者や職員46人が殺傷される。容疑者を殺人未遂容疑などで逮捕。その後、容疑を殺人に切り替えて送検

8月15日 女性9人に対する殺人容疑で再逮捕

9月 5日 男性9人に対する殺人容疑で再逮捕
同 14日 厚生労働省の有識者検討チームが事件を検証した中間報告公表
同 21日 約4カ月間の鑑定留置開始

12月 8日 厚労省有識者検討チームが再発防止策の報告書公表

≪2017年≫
2月20日 鑑定留置の延長が終了 完全な責任能力を問える状態と判定
同 24日 横浜地検により、起訴

 コンボの立場から一旦離れて、この事件で宇田川が個人的に言いたいことは、今回の事件が起きて本当に悲しかったことです。この事件を受け入れることは難しく、そのショックと悲しみは続いています。私は事件当初、病気が再発中で、家でテレビばかり見ていました。その当時はマスコミの精神科病院に措置入院経験のある犯人という報道にさらされ、精神障害者としての自分を振り返り、自分は生きていてもいいのかと不安になりました。また、障害者には生きている価値がないという、植松容疑者の手紙の内容が、繰り返し詳細に報道され、それを繰り返して聴くうちに、一人の障害者の私として、私は生きている価値があるのか生きていていいのかと、不安になりました。

今回の容疑者を精神障害と関係付けたのは、マスコミだと思います。それと同時に、措置入院を事件と関連づけて問題視した厚生労働省の検討会報告書も同様に、事件と精神障害を強く結び付けました。報告書の提言によって同様の事件が起こることを防止することを主張するとすれば、大いに疑問が残ります。そもそも精神科医療というものは、あくまでも医療であり、それ以上でも以下でもありません。精神科医療に犯罪を抑止する機能は本来ないはずです。

マスコミは犯罪が行われた直後に、手紙の内容を事細かに報道しました。これが結果として、マスコミによる全ての障害者に対するヘイトスピーチとなってしまったと思います。私は少なくとも、非常に傷つき、生きていていいのか、不安になりました。

一方で医療のあり方として、そもそも犯罪の予防として精神科医療を使うことはできないはずだと思いますし、使ってはいけないと思います。医療は、人の健康を守る以外のことをするべきではないのです。しかし精神科医療は、やろうと思えば、本来の医療から離れて、それができてしまうのはおかしなことです。

今回の厚生労働省の再発防止策の報告書では、措置入院の患者(この時点で強制入院ですが)が退院した後も、地域での継続的な医療的支援を維持することが書かれていました。これが、本当に事件の再発防止策となりえるのでしょうか。

措置入院という強制入院が終わった後でも、地域で監視の目にさらされ続けることは、その人の心の自由が奪われ、地域が本来の意味の地域ではなくなってしまうと思います。

今回、本質的には、重度のどんな障害を持った人であっても、地域で迎え入れ、それをサポートしていくという、議論が重要視されませんでした。つまり既成の巨大介護施設のあり方や、脱施設化、あらゆる重度の障害を持つ人の生活の地域化の議論が抜けていると思います。かなり重度の障害を持った人であっても、地域でサポートを受けながら暮らしている人もいれば、一方で何十年も巨大な介護施設に入所している人もいます。もしかすると今回の事件は巨大な介護施設以外では起こり得ないという発想は出てこないのでしょうか。さらに、そういった施設や地域で働く、介護職員の待遇や教育、研修などの改善という発想がまったく出てこないものでしょうか。

今回の事件はあまりに大きな事件であり、マスコミによって、容疑者の精神科病院への措置入院歴ばかりに目が向けられました。大きな事件ですので、行政としては、何か一つのことのせいにして、そこを改善しましたという言い訳のような姿勢で、「精神障害を持つ人のせい」にされてしまったと思います。事件の本質を見逃しているのではないでしょうか。

そのせいで、精神障害者に対する世間の見方は、より悪いものに傾いたと思います。誤解や偏見、差別が助長される傾向が強まりました。また、今回の報道で、鑑定留置の結果の診断名が公表され、そのために、アマチュアの臨床マニアの人が、マスコミやウェブで精神障害に対する偏見・誤解を助長するようになることを恐れます。

過去の話になりますが、2001年に池田小事件が起きました。これも大きな事件でした。同様に、事件当初にマスコミによる精神科病院への入院歴報道があり、精神障害に対する世間の見方が大きく後退しました。その後、精神疾患の詐病が明らかになりましたが、マスコミ報道のあり方が十分に検証されたようには思っていません。

その年の秋に、私は大阪の池田市に、アメリカから来日した複数の当事者を連れて行ってスピーチしてもらいました。その場には池田市長も出席してもらい、複数の新聞に取り上げられ、インパクトがありました。

私は早め早めに偏見・誤解への芽を摘み取るしかないと思っています。そのためには私たち当事者が話すしかないと思います。なぜなら、私たち精神障害の当事者は自分たちが危険ではないということを言う責任があると思っているからです。

(2017年2月24日)

★これまでの記事★

【2016/7/26】
相模原障害者施設殺傷事件の報道について緊急要望書を提出 → こちら

【2016/9/16】
相模原障害者施設殺傷事件のその後の動向に関する意見 → こちら