正しさとコミュニケーション


「こころの元気+」2015年12月号(106号)より    ※「こころの元気+」とは→コチラ

情熱のメッセンジャー冠地情の「コミュニケーション実験道場」より

冠地情(かんち・じょう)
●小学生の頃から不登校・ひきこもり・いじめの三冠王でした。
成人後に発達障害(ADHD&アスペルガー症候群の混合型)の診断を受けて、現在は発達障害のある大人の当事者団体「イイトコサガシ」の代表です。


正しさとコミュニケーション(連載の23)

ツイッターで「冠地さんのコミュニケーションに関する失敗談を交えたコラムも読んでみたい…」というお話をいただいたので、試してみます。
ぶっちゃけ、たくさんありすぎ(汗)。
じゃあなぜ今まで題材にしてこなかったか?(まったくゼロではないにせよ)
答えだけを書いてもあまり役に立たないからです。味気ないからです。
そんなの知っているよ、でも…って話になるのがわかっているからです。

さて、私がコミュニケーションで苦労したのは、自分が正しいと思っていることで、ついつい相手を傷つけてしまうこと。
そして、相手を引かせてしまうこと、でした。
お世話になっていた先輩から「冠地!『でも、しかし』って言うな! たまには『はい。そうですね』って言えよ!」って怒られたのも懐かしい想い出です。

相手には相手の言い分、価値観があること。
話によっては、わざわざ白黒の決着をつけなくてもよいこと。
わかってはいるのですが、なかなかうまくいきません。
相手を論破し、自分を正当化しないと、生きている実感を得られなかった、というのがひとつ。
私からしたら、創造的に掘り下げているつもりだった、というのがふたつです。

今はどうなのか?
ワークショップや研修等を千回以上経験したことで、自分自身に余裕ができました。
創造的な仕事が定期的にあるため、その手の話に困らなくなりました(無理にその展開に持っていく必要がない)。
一番大きいのは、相手が自分の思いどおりにはならないってことが、骨身に染みたこと。
ワークショップでは…時に手放したり、アレンジしたりというアドリブが必須。
譲ってよいところと、譲ってはいけないところの見きわめも大切です。
正解なんてありません。
それでも創っていくしかないのです。
結局、この境地にたどり着くまでの試行錯誤が、今の私にはあり、昔の私にはなかったということなのでしょうね。