特集2
『ノー・ライセンス』(221号)
○「こころの元気+」2025年7月号より
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筆者:福場将太
医療法人風のすずらん会 美唄すずらんクリニック 副院長
人間は「ただ生きる」ということが苦手な生き物のようです。
ついつい意味や答え、理由や価値を求めてしまい、他の動物や植物達のように「ありのままの命を歌う」ということができません。
▼何のために生きている?
僕は精神科の医者です。
精神疾患というものは完全な治癒がむずかしい場合が多く、長年通院を続ける日々の中で「何のために生きているんだ」と自問する患者さんがいます。
支援者として僕が見つけた答えは
「病気は治せなくても訓練と工夫とサポートで生活を高めることはできる。生活が充実してくれば希望や満足を感じることだってできる」というものでした。
ただ、僕は治療不能の眼科疾患で失明した患者でもあります。
目が治せなくても生活を高められる?
希望や満足を感じられる?
そんなに簡単ではないことを障害当事者としてよく知っています。
心の中で、支援者の自分と当事者の自分はしょっちゅう言い争いをしてしまうのです。
▼伝えたいこと
それでも今、僕が素直に伝えたいことがあるとすれば、
「ただ生きてみてもいいんじゃないかな」ということです。
人間はお互いの心に影響をおよぼし合いながら存在する生き物。
たとえば診察で会話をしたAさんの心から受けた影響がほのかに僕の心に残っていて、それが次に診察するBさんとの会話で作用したりする。
そして、そんなBさんの心から受けた影響がさらに次に診察するCさんやDさんの心に作用したりするのです。
自分が患者として眼科を受診した際にも感じます。
医者がかけてくれたあたたかい言葉には、もしかしたらその先生が遠い昔に出会った患者さんの心の成分が含まれているのかもしれないな、と。
「ブラジルで一匹の蝶が羽ばたいた影響でやがてアメリカで竜巻が起こる」というバタフライ効果の話を聞いたことがありますが人間だってそう。
通院するだけのささやかな日々だったとしても、何もしていないなんてことはない。
心を介して誰でも誰かに見えない影響を与えているのです。
いやいや他人に影響を与えたってうれしくない、そんなの生きる理由にならないという人もおられるでしょう。
それならもっと単純に考えましょうか。
動物や植物達よりも面倒な心を持ってしまった人間ですが、だからこその特技があります。
それは「笑う」ということ。
消えない苦しみに蝕まれたとしても、十年に一度でも笑える瞬間があるのなら、それだけで人間は生きてみていいのです。
▼もう一人の自分
支援者だったり当事者だったりしながら逃げ回っている僕ですが、どうしても心が、「何のために生きているんだ」の問いに追い詰められることはあります。
そんなときに助けてくれるのがもう一人の自分、音楽と文芸を愛する表現者としての自分です。
ただギターを弾いて、歌って、小説を書いているときは、医者であることも目が見えなくなったことも忘れて、生きている疑問も忘れて夢中になっている僕がいます。
実は今回の原稿執筆の依頼をいただいて最初に頭に浮かんだのは、かつて失明の渦中で作った『NO LICENSE』という曲でした。
音楽は魔法です。
時にはそんな理屈抜きのものに心をまかせてみるのもよい。
一貫性や確実性よりも、矛盾や曖昧さが必要なときだって人間にはあるのです。
ブラジルで羽ばたいた蝶のように、自分の見えない影響がどこかで誰かに十年ぶりの笑顔をもたらすかもしれない。
そんな魔法も信じながら、ただ生きてみるのはいかがでしょう。
人が生きると書いて人生。
ただ生きるのに資格も免許も必要ないのですから。
それでは最後に、
『NO LICENSE』の一節を。
どうしようもないことがまた
ひとつ
非力な自分に涙する
何も止められず
何も変えられず
滝壺に向かう舟の上
誰かと比べるために
僕らは生まれたわけじゃない
他の人が五分でできることを
十年かけてもいいじゃないか
いてもいいんだよ
いてもいいんだよ
君がそう望む限り
迷惑ばっかりかけちゃうけど
そこに生きてていいんだよ
誰も一人じゃ生きていけない
だから君がいていいんだよ