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自分の中にある偏見について気がついたこと、その偏見とどう向き合ったのか。
また、病気になる前の偏見がどう変わったのか、変わらなかったのか―など。
相手のことがわかると軽減
(東京都)masumiさん
私は20代の頃、精神科の病院で働いていました。
病状の重い方が入院していた病棟ということもあり、急に暴れ出す人や職員に暴言・暴力をふるう人がたくさんいました。
ある方は、近所の人のものを壊して回ったり、どなって歩き回ったりしてしまい入院されました。
病状が落ち着き退院できる状態になっても、家族が受け入れるのを怖がってしまい、なかなか退院できないということがありました。
病気のせいとわかっていても「怖いな…」と感じてしまいました。
しかし、相手がどんなことに悩み、どんな考えにとらわれてしまっているのか、どう対処すればいいのかわかると怖さは軽減しました。
「自分に危害を加えられるのではないか?」
という恐怖から、偏見につながっていってしまうのではないかと思いました。
私自身うつ病を長く患っており、精神の病気に対する偏見の言葉を聞くのはつらいです。
しかし、わかってほしいというだけでなく、精神疾患のはげしい症状を目の当たりにしてしまった人達のケアも考えないといけないのではと思います。
精神疾患のことを隠すのではなく、開示して、調子が悪そうなときは、本人やその方の関わっている施設に伝えていける、そんな風通しのよい社会になればいいな、と思っています。
障害がなくても
(福岡県)相川知子さん
精神科へ入院中に、同じ病棟にいた入院患者にふり回されたことで、私の中の精神障害のある人への偏見として、「精神障害のある人は変わった人ばかりで周囲をふり回す人が多く、困った人」というものができあがりました。
今の私は精神科の外来に通い、普段は一般企業で仕事をしています。
しかし、精神科に入院していない今も、私のまわりには変わった人も、ふり回してくる人も一定数います。
その人達に「困ったなぁ」と感じながら、毎日を過ごしています。
現在の私をふり回してくる人達に精神障害があるかといえば、ほとんどの場合はないです。
私が今の職場で学んだのは、精神障害がなくても、困った人はけっこういるということです。
今の世の中は「精神障害」という言葉が一人歩きして、その人のイメージを作り上げることが多いです。
実際は精神障害の有無に限らず、その人個人をよく見て、その人の印象を決めることが大事だと感じています。
できることを
(長野県)まささん
病気して、今までの生活からまったく異なった生活に変わります。そのことでずっと悩んでいました。
どうしても、もとあった生活を考えてしまいます。
病気して最初のバイトはファーストフードで厨房をしていました。
オープンキッチン形式で外の客席も見えます。
そこに昔の勤務先の同僚が来ました。そのとき、そこから中は見えてないのに隠れました。
当時はそういう感じで、病気した自分を認められず、隠れていたいという気分がありました。
そこから自分なりに取り組んでいって、病気とつきあい、何とか病気とやっていけるようになりました。
また、まったく何もできない自分になっていましたが、ちょっとずつできることを増やしていって、料理して「おいしい」と言ってもらったりできるようになりました。
そういう段階になったら、仕事していて昔の同僚が来ても、堂々といられるように変わりました。
出会いで
(青森県)小笠原和繁さん
14歳でアスペルガー症候群と診断を受け31年。
最初「何で自分が精神科に」と疑問でしたが、受験戦争で壊れかけていた私を助けたい一心で母が連れて行ったと聞き、ありがたく思いました。
最初に通った山奥の病院で、薬の影響が強く現れている患者を見て「精神科って、こういうふうにダメになるんだ…」と感じました。
それ以来「精神科に通っても、いい高校に入ってガンバろう」と思い、商業高校に入りましたが、養護学校(支援学校)を出ているとバカにされ、毎日いじめられました。
就職できず、障害年金を受け、作業所に通い、同じような障がいをかかえる方達と出会い、考えが変わりました。
病気のために学校を中退した人や離婚した人など、さまざまな環境の方と接するうち、自分も、精神障がい者に対する変なプライドや偏見があったのをかなぐり捨て、「みんなと同じように生きよう」と決意しました。
もう精神科に通い始めた頃のような偏見や変なプライドは持たなくなりました。
人は学歴や人生ではなく、人柄だと、今さらながら気づけるようになりました。
予想外に
(新潟県)やまさん
特定不能の精神病性障害の50代男性患者です。
私は自分が明らかに精神病だと感じ、ネットなどで調べて、パニック障害だと推測しました。
会社勤めや妻がいたこと、私の地域は田舎で、SNSなどではなく、悪いことはすぐにうわさになるため、また、最初は私自身にも精神病に偏見があったため、内科に行き、軽い安定剤を処方してもらっていました。
が、症状が強く耐えられず精神科病院へ行くと、医師からパニック障害のきちんとした薬を処方され、症状は少しだけよくなりました。
私は、家族や友人、親戚に、精神科病院に通院していることを話しましたが、予想外に友人などは心配し、離れるどころか、以前より親しい関係になりました。
ただ、離れた友人もいたのも事実です。
私は、自分が必要以上に病気に偏見を持っていたように思います。
今、理解ある家族、親戚、友人達に感謝していて、病気や同じような患者さんに対する偏見はありません。
家族の中の偏見
父へ
(東京都)雨田泰さん
僕は解離性障害の当事者ですが、偏見に気づいたきっかけは、同じく当事者である父への感情でした。
日ごとに変わる父の言動や家族への苛烈な態度にさらされるたび、自分の中に嫌悪に似た感情が育っていきました。
この感情こそが偏見だったのだと思います。
父は常日頃「障害者の自分は爪弾き者だ」などと言っており、こういった言動も自分の中の偏見を育てていったのではないかと思います。
時を経て自分も当事者になったとき、かつて父に抱いていた偏見が今度は自分に向くようになりました。
それから医師や友人などの支えもあって症状は落ち着き、障害があることも含めて自分は自分であると思えるまでになりました。
その自負心が芽生えたとき、不思議と父に対する嫌悪や偏見はなくなっていました。
子どもの偏見は大人が作るともいいます。やがて親になるかも知れない自分は、心の病のことをどう子どもに伝えるべきか、偏見を克服したことによってその糸口が見えたように思います。
父として
(大阪府)双極次郎さん
親が子どもの精神疾患を知られたくないのは、精神疾患というのは体に見えない症状ですので、ひきこもっていると、ただ甘えているだけ、親の教育が悪かった、環境が悪かったというように世間体が悪いという点があるのかなと思います。
また昨今のニュースでも、事件が起こると「精神科への通院歴がある」と、病気があるだけで危険と思われそうな報道がされます。
私も実際に子どもが精神疾患(自閉症)をもっている可能性があって、心療内科を受診したことがあります。
それを学校に伝えるかどうかたいへん悩みました。
現在は打ち明けてIQテストの結果も伝えたうえで通級学級に通っています。
精神の治療も、早期発見・早期治療によって改善していく余地というものが見えます。
オープンにするところ、伝えなくていいところはさじ加減を覚えて、よりよく暮らすしくみを考えていくことが大事なのではないかと感じています。