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【問4】 問3でチェックした項目について、当時の様子を詳しく教えて下さい。 ※一部賛助会員限定


※ うつの症状はどの位続いたのか、いつ頃どのようにしてその「きっかけ」に行き着いたのか、その「きっかけ」によりどのように気持ちや症状が改善していったのか等、複数チェックした方は順に追って教えて下さい。
※ 一部賛助会員限定

 

● 1年間休職後に退職し、寝てばかりでした。日記を書いたりしていました。家族の理解が一番大きかったのではないかと思います。きっかけははっきりしませんが、徐々に回復していった感じです。
5年をかけた充分な休養が、一番のきっかけだったと思います。私の場合は、ある日突然というきっかけは思い出せません。(さく、50代、男性)

 

● 引きこもり状態になり、しかし双極性の母には理解してもらえず一日中暗い部屋の中で寝ていました。そして連続して両親が亡くなったある日、市役所の担当さんに就労継続支援B型事業所を教えていただきました。
半ばクビ同然の退職をした私は続ける自信が全くなかったのですが、メンバーはみんな当事者で悩みや思っていることを次第に話せるようになり、共感してもらい、少しずつ気持ちも軽くなっていきました。趣味、と言ったら少し違いますが、色々な本を読んだり、同じ悩みを持つ人たちのグループや講習に行くうちに、私はピアサポーターになっていました。(香西、30代、女性)

 

● 専門学校を半年休学した。主治医と相談して秋に休み始めた。春の復学にむけて薬を増やして初めの4ヶ月はほぼ寝ていた。残り2ヶ月で少しづつ出掛けられるようになって、学校生活に対応できるように起きている時間を増やした。
無事卒業してからは薬は飲みながらだけれど仕事ができている。途中体調を崩して退職したこともあったけど、今の職場では5年持っている。(病気のことは秘密)
また、興味を持ってやってみたいと思った趣味には積極的に踏み込んで行こうと思っている。仕事だけだと滅入るけど、趣味を楽しめる時間も大事。ある意味それがバロメーター。もちろんどちらも体調の様子をみながらというのが大前提。無理はしない。家族もそれをわかってくれているから有難い。(羊飼いの呼び声、20代、女性)

 

● 現在、まだ、鬱が完治とは行かないですが、少しずつ鬱との共存の道を歩んでいます。
退職後、すぐに入院となりました。入院する中で、作業療法(リハビリ)を自然と受ける機会に恵まれ、今までした事のないビーズ細工・革細工をリハビリでしたり、塗り絵やクロスワードや切り絵等、リハビリ時の他に自宅でも出来る楽しみが増えました。
入院時やリハビリ時に病気を持つ仲間と心を割って話せる友達・仲間に巡り合えた事で、お互いの病や悩みを話せる人に出会えました。
以前から、病に関する本を読んでいましたが、大鬱後、2年位は文章が頭に入りませんでした。病状が回復してから、病についての本を改めて読み、知識を得たり、気持ちの共有をはかっています。衝動性を行動化する前に言語化をとリハビリ士さんに勧められ、日記をつけたり、いざという時は病院スタッフで理解あるスタッフさんに緊急SOSを出し、行動化抑制の訓練中です。(愛里、30代、女性)

 

● 2年ほど休職をし、期間満了に伴い退職した。通院先が職場であったので、退職を機に通院先を変えた。
そこの病院で、治療プログラムのSSTや作業療法などに参加したことによって、意欲が回復して、旅行に行ってみたり趣味の手芸をやってみようという気持ちが湧いてきた。環境を変えたのが今考えれば良かったのではないかと思う。(nies、30代、女性)

 

● 3年程うつの症状に悩まされていましたが、地元より少し離れた高校に進学することを決めました。その高校では、同じ中学の人が少なく少人数の高校であったため、少しずつ回復していきました。
中学校の頃のものを片付け処分したことで、過去は過去と区切りをつけることができました。高校に入学して初めは馴染むことができませんでしたが、周りの人の支え(学校の先生、クラスメート)で、少しずつ馴染むことができました。そして、学校の先生からの紹介で、心療内科から精神科に病院を変え、自分に合った病院に行き着き、カウンセリングなどで自分の癖などを直して考え方を変えていきました。カウンセラーの方に自分の気持ちを紙に書くということを教えてもらい、ストレスをためないようにして、自分に合った気分転換ができるようになりました。(…suna…、20代、女性)

 

● 元々、勉強は好きなほうだったので、本が読めそうな気分の時に少しずつ読んだ。
日記は元々、書いていたが、うつがひどい時には書けなくなった。ほんの一言日記から再開し始め、記録として残しておきたいことを書くようになった。たくさん泣いた、とか、よく眠れなかった、など。
主治医に休むように言われ、1か月仕事を休み、復帰。2か月仕事して、きりのいい年度末で退職。仕事はシフトダウンという形で、同じ雇用主の所で旦那の扶養に入った状態で代替えとして働く。
現在、3種類の仕事を14か所でしています。呼ばれた時に呼ばれた所に行きますが、都合が悪いなどの時は断ることもできるので、デイケアに行きたい日は断ることもあります。デイケアは、とても楽しいし色々なプログラムのおかげで、体調管理ができるようになったと思う。(双極 ゆめ、50代、女性)

 

● うつの症状はいまだ克服できていませんが、毎日夜寝る前に日記を書いて自分の感情を吐き出しています。
そして、家族にうつに関する本を渡したり、一緒に病院に付き添ってもらったり、また、私の場合はWRAPに出会い、同じ精神疾患を持つ仲間と出会えたことが一番大きな支えになりました。(せれな、20代、女性)

 

● 書くことが好きだったので、日記に書きなぐったり、明るい将来を信じた計画を書いたりしてやり過ごしていた。
そのうち高校を卒業。遠方の大学に進学した。(オレンジ、30代、女性)

 

 

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