軽かった命が重くなった(本人)


こころの元気+ 2011年1月号特集より


特集5
軽かった命が重くなった

新村明子さん


夫との出会い、そして出産

ほんの七年ぐらい前の私は、荒れていました。
大好きな「デイケアハウスにぎやか」の仕事にドクターストップがかかり、家族との関係は悪くなって福祉ホームに入居していました。
ただ毎回処方される薬を、もらった日に衝動的に大量服薬してしまい、もう、ただ消えてなくなる日のことしか考えていませんでした。
そんなとき、夫と一緒になりました。
どうにでもなれと荒れてみたり、やっぱり一人前に仕事ができるまで、今すぐ回復しようとあせる私を、夫や夫の家族はただ受け入れてくれました。
何時間も何時間も、ただ話を聞いてくれました。
「私は何もできない」と言ったら、姑は「あら、今日はってでもトイレに行けたじゃない」、「今日は顔が見られてよかったわ」、ずっと肯定的なメッセージを送り続けてくれました。
それでも、正直なところ、衝動的な行動はコントロールできずにいました。
でも、「ここは安全だ」という確信と、「この家族に根を下ろしたい」という希望。
そして、その頃から夫と「子どもを産みたいね」と話をすることが増えていきました。

しかし、現実はむずかしかったです。
まず、私が自分のことが好きじゃないのに、子どもを愛することなんてできないだろうという思い。
薬の副作用も気になる。
産んでも育てる自信なんてない。
ほとんど一日中寝ているし、パニックも持っている。
虐待のニュースが自分のことのように聞こえ、恐ろしくてたまりませんでした。
北海道の浦河べてるの家まで行って、その思いをぶつける機会に恵まれました。
返ってきた答えは、「授かれば産めばいい」。
なんとシンプル! 育児はみんなでしたらいいと。

帰ってきてから、家族に話しました。
妊娠できたからといって、病気は治らない。
そのままの私で、一〇か月過ごし、そのあと育児をする。
みんな渋い顔で覚悟を決めている感じでした。
デイケアハウスの障害をもっている子のママに薬の副作用を愚痴ったら、
「障害持って産まれてきたらダメなの!うちの子かわいいと思ってくれていたんじゃないの!」
と思い切りしかってもらい、これから自分に起きるすべてのことを受け入れていこうと覚悟できました。
妊娠中、閉鎖病棟にも入りましたが、みんなでスクラムを組んで、がんばり貫いた感じがします。

自分の命も大切にしたい

産んでも、予定通りハッピーにはなりませんでした。
抱っこした手が、わが子を放り出したくなる衝動と戦っている。
泣いている声が、「ママなんてきらいだー」と聞こえる。
産まれてすぐに日中はずっと預けることにしました。
今度は、「ダメ母」のレッテルを自分に貼ってしまい、ずっとうつ状態で過ごしました。
保育園に迎えに行くと、働いているお母さんたちがまぶしくて仕方がない。
毎日の送迎も負担になり、家族に代わってもらいました。
夜は眠らないと調子が悪くなるので、姑に預けて眠りました。
子どもは、後追いするようになったら私には寄って来ず、姑ばかり。
この子に私は必要ないのかも …自動思考が止まりません。

しかし、それだから、私は必死になった気がします。
子どもを投げ出したいから、一生懸命抱っこしました。
日中、私の代わりに本当にたくさんの人が息子をかわいがってくれます。
そこには感謝しかありません。家族にもです。
保育園のほかのお母さんたちのまぶしさには、自分がまだ働きたい、社会に参加したいんだという願望を再認識しました。
新しい命を大切にしたい。だから自分の命も、これからは大事にしようという思いがだんだんわいてきました。
大量服薬を、なんとかコントロールしようとがんばっているところです。
自分を責める言葉が頭を駆けめぐっても、行動に起こさないよう気をつけて生活するようになりました。
と、書いている今も、残念ながら久々に大量服薬してしまい、病院帰りです。
なかなか思うようにはいきませんね。
しかし、一日一日、軽かった自分の命が子どもの命を授かったことでずっしりと重くなっていることは確かです。
子どもを授かってよかったと思います。