私が変わる、世界が変わる(本人)


こころの元気+ 2011年1月号特集より


特集3
私が変わる、世界が変わる


気持ちを楽しむ
三重県 川北誠さん


とても心に響いた言葉があります。今話題の斉藤里恵さんが、「筆談ホステス母になるハワイより61の愛言葉とともに …」のなかで書いていた言葉です。
「気楽イコール気持ちを楽しむこと♪」
「気楽とは、楽をすることではなく、どんなときもその気持ちを素直に楽しむこと」だそうです。
「人生にはいろいろなマイナスの感情を抱く瞬間があります。でも、そのすべてを、こんなふうに思う自分はダメだと思わないでいたいと思います。いろんな感情があってこそ、人間は素晴らしいと思いますから」とも書いていました。

病気のあるなしに関わらず、人生は楽しいことばかりではないと思います。いいことも悪いことも含めて、そのときの気持ちを楽しむことができれば、少しは生きやすくなるんだと思います。
僕も今では、いいことも悪いことも含めて、自分の人生として引き受けようという心境に至りました。
この言葉は、とても心に響いたので、遠くに引っ越した仲間にハガキで送ったり、友人にメールで伝えたりしました。
職場の同僚が悩んでいたときも、この言葉を送ったら、とても喜んでくれました。
本当にいい言葉は、病気のあるなしに関わらず、心に届くんだと実感しました。


母からのアドバイス
長野県 野々宮浅葱さん


今まで必ず治ると信じていた病気が、どうやら一生治らないものかもしれないとわかってきた頃、私は母に向かって不安を訴えたことがありました。
「一生このまま何もできなかったらどうしよう?お母さんが病気になったりしたら、私は具合悪いし、どうしたらいいの?」
すると母の返事は、
「年寄りになれば、みんなそうだよ。あそこが痛い、こっちが具合悪いって言いながら、みんな何とかやってるよ。どんなに健康な人だって歳をとれば必ず病気になったり、どこかが痛くなったりしてる。でも、だましだましやったり、休み休みやったり、人にお願いしたりして何とかやってる。年寄りは全員そうなんだから、あんただって何とかやっていけるよ」
というものでした。

これを聞いて私は、「年寄りは全員そう」という言葉に、ひどく安心しました。
確かにまわりには、家に閉じこもりがちだったり、歩くのも不自由な老人がたくさんいます。
老人が全員そうなるのなら、私だってやっていけるかもと心が軽くなったのを覚えています。
違うこともありますが、老人と病人は共通項が多いです。


ある本の出会いが
岐阜県 山崎和子さん


二〇代からうつ気味で、三四歳で精神科にかかり、うつ病とわかりました。
寛解の時期もありましたが、四二歳で大うつ病になり、精神科に入退院を繰り返し、現在五四歳で双極性感情障害といわれて治療をしています。
一昨年までは、うつになっても治りが早くて、楽しい日々を過ごしていたのですが、昨年は居場所としていた作業所をやめなくてはならなくなり、うつ病も悪くなりました。

将来に希望が持てない、自信がないこんなとき出会った本が精神科医香山リカさんの「今のあなたで大丈夫!」に書かれている「65点主義のすすめ」でした。
自分に無理をさせない生き方が書かれていて、なるほどなと思いました。
自分は八〇点主義の人間でした。
半分ちょっとできれば、自分をほめていいんだと思いました。
デイケアに通っていますが、最低限の主婦の仕事と、あとは好きな韓国ドラマを見てWiiで筋トレやヨガをやってたまにウオーキングをする、このくり返しの毎日です。
こんな生活でいいのかと思っていましたが、これだけできれば充分だと思っています。
うつ病で寝込むこともありますが、それは体が休養を求めてるのだから欲をもたないようになりました。


病気になって人の痛みが
千葉県 ゆうみんさん


私は、小さい頃から負けずきらいの完璧主義者で、「百かゼロ」、「白か黒」で生きてきました。
今考えても、ギチギチで苦しかったのですが、自らに鞭むちを打ってがんばってきました。
だからあるとき、今までできていたことができなくなり、自分が統合失調症と診断され通院することになったときも、「そんなはずはない」と認めたくなくて、病院に行かなくなったりもしました。

でも出会ったカウンセリングセンターのグループの会報が、「がんばらない」という主旨のもので、カウンセラーも私の話を聞いて、
「がんばったね、えらかったね。自分で自分を愛してあげて」
と言ってくれて、かたくなだった心が溶けるかのように涙がこぼれ落ちました。
ずっと自分が、理想の自分と違うのが許せなくて、いつの間にか自分を憎くさえ思っていたのだと思います。
それ以後も、病院を転々としたり、就職しては病状が悪化してまたやめざるを得なくなったりの繰り返しですし、まだ人と比べて自分が劣っていることに悔しさや無念さを感じます。
でも病気にならなければ、人の心の痛みがわからない鼻持ちならない人になっていただろうし、両親ともわかり合えなかったと思えるようになりました。


自分のとらわれ方から解放された
愛媛県 菅原俊光さん


私は、性格的には真面目すぎて余裕がなく、それが心の病い(躁うつ病)になった大きな要素にもなっています。
視野が狭く、物事をやり出すと身体が疲れはてるまでやり、あとでダウンする本当に自分でもイヤな性格です。
そんな私ですが、ある女性ケースワーカーとの話し合いのなかで、解放の道のヒントを与えられました。
彼女は、今は隣の市の某病院に勤務しています。
しかし、今も私が通院している病院にいたとき、
「菅原さんは、人のことを意識しすぎているのでは? もうちょっと自分に対してわがままでも、よいのではないかと思いますよ。そうしたら、もっと人生を楽に生きられるのでは …」
彼女は他にも、
「人前で講演するときは、会場に来ている人を人間とは思わずに、畑のお芋と思って話すと緊張がとれます」
と言って、自分自身のある講演でも、その言葉を聴衆に初めに話して緊張をほぐしていました。

私は彼女のその飾らない、高ぶらない、オゴラナイ、福山雅治さん(ライブで二回見ましたが、本当に人間的にすばらしい人です)みたいな人で、今でも尊敬しています。
そして、大好きです。私を変えた人です。