経験談1


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精神科にかかる前に、みんなギリギリまで症状を我慢することが多いです。でもその激しい症状によっては、専門の精神科にかかる必要があるという場合があります。睡眠や気分の変化について「こころの元気+」の特集から見てみましょう。


特集5
私の躁うつ病


コントロールできません
神奈川県 大森英雄さん

うつ病と診断された三年後、私の診断名は躁うつ病に変わり、それから今年で七年になります。 私の場合、うつ状態では、会社に行けなくなる、夜中に何度も中途覚醒し眠れない、希死念慮(死にたい気持ち)が湧くなど、実にわかりやすい症状が現れます。それでも自分は「何だか最近調子が悪いぞ?」程度にしか思っておらず、何とかして現状を維持しようと必死にあがくことで精一杯です。
自分の置かれた状況を整理し、ふり返る余裕はありません。ある程度精神状態が落ち着いてから冷静になって考えると、「あ、うつ状態だったんだ」と気がつくのが常です。躁状態についても同様で、「どうも近頃調子がいいぞ」とアクティブになり、新しいことをいろいろと始めたりはしますが、周囲を巻き込むほどのハイテンションになっている自覚はありません。
そしてまた、少し落ち着いた頃にふり返って、「あれ、もしかして躁状態だったの?」と気がつきます。 私にとって躁うつ病は、とてもとてもコントロールできるような代物ではなく、常にふり回され、支配されている感覚が強いです。 調子が悪いときはうつ状態、調子がよかったかと思えば躁状態、気がつけば、よくも悪くもずっと病気なわけで、何とも躁うつ病とは切ない病気だな…と思います。
それでも周囲の支えに恵まれて何とか今日まで生きてこられましたが、躁うつ病という病そのものを考えるとき、どうにも前向きになれないのが正直な気持ちです。


服薬中断で躁転
新潟県 りんどうさん

私は二〇年ほど前に発病しました。三日間ほとんど眠れない状態が続き、自分でも記憶がないほどの躁状態になり入院しました。二〇代後半でした。
その後、通院で多少の波があっても何とかやってこられましたが、薬をのみ続けることに抵抗があり、苦しんでいました。
そして、この冬、炭酸リチウムという薬を一か月のまないで過ごしてみたのです。冬は鬱々となりがちなので、多少気分が上がってもたいしたことにならないと思いました。
その後、睡眠薬ものまなくなり、眠れない日が三日続いても前のようなひどい躁にはなりませんでした。 薬を捨てていたので、次の診察で薬をのんでいないし眠れてもいないことを告げ、以前と同じ薬を処方され、再びのみ始めましたが眠れませんでした。
一週間位眠れない状態が続き、心配した母が予約日以前の日に医師に診せにいきました。そこで、強い薬を出されましたが、その夜、急に躁転して保護入院となりました。今年の三月初めです。
私の経験から、躁うつ病の場合、薬はのみ続けることが大事です。 入院中にストレスについて学んだときに、やり過ぎるのも黄色信号といわれました。 自分の黄色信号に気づくため、手帳に今日何をしたか簡単に書き、動きすぎたと思ったら、活動量を減らすように心がけています。


カードを処分
茨城県 市川晴美さん 

私が初めて躁状態を自覚したのは四年前、仕事帰りによった本屋で無性に買いあさりをしたくなって、本屋で買う必要もない本をたくさん買ってしまったことです。 そのときは、やけに本屋の建物がぎらぎらしていて、ネオンのように見えていたことを今でも鮮明におぼえています。
私は、診察の日に本屋でのできごとを話しました。 先生は「今、市川さんの心の状態は火事のようになっているので、燃え広がらないようにしなければなりません」と、躁状態の説明と、これからの治療について話していました。
この四年の間、大きな躁が出なかったのは、友人たちが「今日はテンション高いよ。とばしすぎじゃない?」「運転荒いですよ」と、アドバイスしてくれたことです。
でも、今考えると「そのときは友人のアドバイスもほとんど聞かず、スピードを出していたなあ」と、迷惑をかけていたのに、おつきあいしてくれた友人たちに感謝しています。
最近、使い過ぎ防止のためにキャッシュカードを一枚処分しました。もう新しいカードは発行しないつもりです。 日常よく出会うカード発行の誘惑に気をつけようと誓いました。 


自分の調子グラフをつくってみる


グラフで再確認
神奈川県 久賀さやかさん 

私は今回初めて「自分の調子グラフづくり」にチャレンジし、改めて気分の波を理解しました。 年齢設定は二一〜三〇歳としました。
就活・教育実習・卒論までのハードな日々が乗り越えられたのは、「安定と軽躁状態の間」、あるいは「軽躁状態」に位置し、エネルギーをよい形で利用できたからだと感じています。
教育実習の担当クラスは学ました。級崩壊、担当教諭はうつ状態 二三歳で塾講師を辞め、一が疑われる様子で、つらい三か月は自宅にこもり、死ぬこ週間でした。でも、恩師の存とばかり考え、半年はうつ状在でギリギリですが維持でき態でした。
二四歳の秋、ひどい躁転をし、医療保護入院となり、保護室を経験。 二五歳の秋は、写真コンクールで授賞される等、よいことが重なった末の、医療保護入院となりました。
グラフにあるように「軽躁状態」と感じていました。インフォームドコンセントもセカンドオピニオンも望みましたが、両親が主治医に任せたため、不本意な入院を余儀なくされました。
その後、二度と不当な処遇に合わないために、通院先の変更をし、病識を深め、環境や関係を調整していきました。今は、精神保健福祉士を志し、おだやかに過ごしています。
ここ四年の落ち着きをグラフ作成で改めて確認し、周囲の方への感謝の気持ちを再確認しました。


グラフは自筆のカルテ
栃木県 milkteaさん

一人暮らしの学生時代、生活を客観的に見て伝えたいと、体調をイラストやグラフで表現していました。
グラフは当時の様子が一目瞭然、記録としても残ります。医師とそれを見ながら「このあたりで気分の落ちこみがありますが、何かきっかけがありましたか」「そういえば、その頃は学校の課題があって睡眠不足でした」といった会話をしました。診察時に思い出せないことや説明しづらいことも自然と伝わり、医師と自分とで注目するポイントが違う場合もしばしば。
軽躁状態を医師や家族に指摘されると楽しい気分を害されたようで、ときに反感をいだきます。が、そこにグラフが加わると、がぜん説得力が増します。後で重くつらいうつが来ることを、私自身が教えてくれます。体調の波をふり返り「今はとても元気だけれど、このときみたいに無理をすると後で苦しくなる」と思い、他者の助言をいくらか素直に受け入れられます。
グラフは週・月・年単位で体調を伝えてくれる自筆のカルテであり、過去の自分からの手紙です。無為に思える日々もたしかに生きていた証しで、これからを生きる自信です。 グラフは線一本で気軽に描けます。躁うつ病で気分の変動に気をつけている方も、それ以外の心の病をかかえている方にもおすすめです。


こころの元気+68号 特集より