グラフで考える私の再発体験(本人)


こころの元気+ 2011年2月号特集より


特集1
グラフで考える私の再発体験


再発が続いています
岐阜県
山崎和子さん


私は現在五四歳の主婦で、双極性Ⅱ型のうつ病です。

大学時代から躁うつの波はありましたが、自然治癒して就職、結婚しました。 転勤族の夫と全国津々浦々を動き、子どもが二年生と四歳のときに、埼玉県にいてうつ病を発病して精神科病院にかかりました。
子育てのがんばりすぎでしたが、五か月で寛解して福島県にいた四年半は、仕事もPTA活動もできました。 そうして一三年前に岐阜に転勤で移り、仕事のつまづきからうつ病を再発させてずっと精神科にかかり、入院も八回しました。 うつ病が治ると軽い躁になってしまい、エネルギーを使いはたしては、二か月ぐらいで再発してしまいます。

体の疲れから、どうしてもラピッドサイクル(躁とうつが短期間に入れかわる状態)になってしまいます。診療や薬のほか、自分で認知療法やWRAPも取り入れた生活をしていますが、再発が続くという現状です。リーマスやデパケンも使いましたが、生理の出血が多くなり、貧血で倒れたので気分安定剤も使えません。

48号再発体験グラフ 山崎


病気になる前より元気に
三重県
川北誠さん


僕は、高校生、大学生の頃から、「世の中はつまらない」と否定的な気持ちでいました。大学四年生のときに、進路のことで悩み、ひどく落ち込みました。大学院に進学して、そのときは楽しかったです。
就職してすぐに発病して、またひどく落ち込みました。
すぐに回復しましたが、通院を勝手にやめて再発し、もっとつらい状態に陥りました。この再発は、通院の中断と環境の変化が原因でした。
二八歳のときに、保健所デイケアに通い始めて、一歩ずつ、元気になっていきました。
三五歳のときに、精神保健福祉士の資格を取得しましたが、思うように活動できない自分に悩んだ時期もありました。 いろいろな波はありますが、今では、病気になる前よりも元気に過ごしています。

ふり返って、「自分はこれで強くなった。もう大丈夫だ」と思ってしまうと、大きなストレスで、また大崩れしてしまいました。今では、「自分はそれほど強くない。また落ち込むかもしれない」と思っています。

48号再発体験グラフ 川北


重荷になったらやめる
新潟県
田中さん


発病から三年たち、市民オペラに参加して本番が近づいた頃、再発しました。
発病の頃と同じ点は、やめた方がいいという心の声を無視して、少し自分に荷が重過ぎるようなものに正面から飛び込んでいったところです。
なぜか昔の心の傷がよみがえり、そのことを人に語ったらとまらなくなって、ぐちゃぐちゃになりました。
そして再発。一か月ほどの入院の後、うつ状態で、家で半年間ほとんど寝ていました。その点も発病のときと一緒でしたが、うつでつらいとはいえ、再発のときは、心の状態は安らかで、「なるようになるさ」という気持ちで楽でした。

その後、薬を何度か調整して、起きていられるようになり、ゆっくりと回復し、今に至ります。
そこで得た教訓は、いいと思って自分から始めたことでも、重荷になってしまったら、やめるべきだということ。あとは、回復はあせらないことかなと思います。

48号再発体験グラフ 田中


最初のうつより軽く
埼玉県
灯路さん


私は、一九歳のときに初めてうつ病を発症しました。
一年間の通院の後に寛解して、何事もなく過ごしていましたが、二六歳のときに再びうつ病を発症しました。
最初は、吐き気や頭痛・疲労といった身体面の予兆から始まりました。
次第に、判断力の低下・イライラ感・涙もろくなる…といった精神面の予兆も起きるようになりました。再発したときは、結婚式場で聖歌隊の仕事をしていたので、かなりストレスを抱えていたのだと思います。
好きな音楽の仕事だったので、二年ほどは不調を抱えたまま、病院の安定剤を服用しながら仕事をしていました。けれども、仕事に支障が出てきたので、結局はやめました。

その後、ペットの死や家の問題・大事な友人との決別などの出来事が起きたこともあり、再発から八年が経過した今も完治していません。けれども、通院治療や支援を受け、仕事の負担を軽減。「最初のうつ病よりは軽いから大丈夫」、そう自分に言い聞かせて回復してきました。

48号再発体験グラフ 灯路