私のどん底体験談―― 私が失ったもの、そして得たもの(本人)


「こころの元気+」2008年1月号より


あせらず、あきらめず
団和正さん/神奈川県

私は大学三年の三月に、卒業後自分が社会にでることへの不安のためか、双極性障害(躁うつ病)になりました。大学四年の四月から就職活動を始めたのですが、申し込んでいた企業のセミナーの当日、私は朝起きる時間になっても布団から起き上がれませんでした。まるで、敷き布団と背中の間に接着剤がくっついたようでした。このようなことが何日も続きました。
私はなんとか精神科のクリニックに行き、薬を処方してもらいました。これらの薬をのみながら、私はなんとか某IT企業に内定をもらいました。ところが就職活動が終わったにもかかわらず、私のうつ状態はどんどんひどくなっていきました。卒業後、会社にはなんとか入社しましたが、うつ状態はさらにひどくなり、私は会社を辞めざるをえませんでした。
それから一六年の月日がたちました。私の病気はまだ治っていません。「あせらず、あきらめずやっていきましょう」
最近精神科に受診したときに、主治医がおっしゃった言葉です。今が人生のどん底かもしれません。しかし私はこれからも、病気が治るその日を信じて、毎日生きていこうと思っています。

どん底の経験を神様に感謝
澤田優美子さん/東京都

私のどん底は高校二~三年生のころでした。
中学生までは活発な子どもでしたが、高校に入学した直後急に暗く無口になりました。小中学時代の友達と離れ離れになったこと、新しいクラスメートと話題が合わなかったこと、急に勉強がたいへんになったこと、担任の先生がきびしかった上、進路や大学受験のプレッシャーをかけられたことが原因だったと思います。
それでも高校一年生のときは大学へ行けばいろいろな人がいるから友達ができるだろうと思っていました。
しかし、高校二年生になると自殺以外何も考えられなくなってしまいました。罪業妄想と醜形恐怖に取りつかれ、将来への悲観・恐怖・絶望に押しつぶされそうになっていました。
勉強しているときだけそのような考えが押し寄せなくてすむので「勉強依存症」になりました。
高校三年生になると、もう何も考えられず、つかれたように受験勉強に没頭しました。しかし、病的な不安と人に相談できなかったことから受験に失敗しました。身体症状もありました。
高校を卒業してまたひとりぼっちになり、自殺寸前になりました。四三年間の人生で一番苦しいときでした。しかし、この時教会に導かれ、キリスト信仰という一生の財産・心の支え・生活の指針を得ました。また、高校時代にしっかり身に付けた英語やその他の知識がその後の仕事や今のクラブハウスでの活動の武器になっています。苦しいときもどん底を思い出せば何でもないと思えます。
どん底の経験を神様に感謝しています。

私の立ち直るきっかけ
神澤郷子さん/大阪府

私は統合失調症歴一五年目の主婦です。発症したのは結婚間もなくでした。夫は仕事が忙しく、早朝から深夜まで会社にいることはザラです。私は時間を持て余し、さびしさからか買い物に依存するようになりました。それと共に幻聴や思考伝播といった症状が現れ、自ら精神科を受診したのです。
服薬を開始すると副作用で常に眠く、意欲も減退し、一日中寝ていました。それでも買い物は止まらず、ついに夫の不満が爆発し、怒られてパニックに陥った私は、夫の前でリストカットに及んだのです。七針縫合しました。
夫はそのとき医師に「自傷は癖になるから気をつけて」と言われたようで、それから私を面と向かって怒ることはなくなりました。でも口に出せない不満は募り、心労も重なり、自身も原因不明の湿疹に悩まされ、笑顔が減りました。
私は私で、夫をそんなふうに変えてしまった自責の念に駆られ、夫婦間はぎくしゃくし始めました。
今思うとその頃がまさに「どん底」でした。
立ち直るきっかけになったのは、支援センターとの出会いです。他人との関わりをそこで学べたことで、世界が広がりました。
「できること、いっぱいあるやん!」と教えてくれた仲間たちへの感謝と共に、妻を見放すことなく支え続けてくれた夫に、これから「ありがとう」を返していきたいです。