私の再発のサインと対処方法(体験談)


「こころの元気+」2007年10月号より   ※「こころの元気+」とは→コチラ


私の再発のサインと対処方法(体験談)


生き方のマイナーチェンジ

寺澤真/神奈川県

私の病気は、そううつ病です。私の再発は、テンションアップからのオーバーワークが原因でした。
山のようにある仕事を片づけようと、夜眠らなくなり、アイデアが湧き出る泉のように出てきます。また、クレジットを使って高価な買い物をどんどんしてしまいました。
そんな短い一時が過ぎると、奈落の底に落ちるように抑うつ状態が何か月も続き、自殺未遂に至ってしまいました。
今の私の再発予防法。それは、自分の生き方をマイナーチェンジにすること。そして、客観的に自分を評価してくれる人物を複数持つことです。つまり、自己負担の少ない小さなチャレンジを一つ一つ乗り越えようということです。
リスクを考えないで、大きなモデルチェンジしようとあせると、自分自身の負担が大きくなりすぎて、失敗しやすいからです。
次に、再発してから社会復帰まで支えてくれた担当医を始め、病院のカウンセラー、デイケアのスタッフ、障害者職業センターの職業カウンセラー、ハローワークの専門援助部門窓口の担当者、地域支援センターのスタッフ、職場のカウンセラー等と常に連携していくことです。
客観的に自分を診てくれているので安心します。この二つの実践で、再発に備えています。


一人暮らしのすすめ

熊田貝/神奈川県

一〇代からうつを抱えたままの私ですが、数年前念願がかなって、スーパーのパートを始めることができました。
作業所で、作業の量も増やしたところ、体力気力ともにたくさん養いました。
お薬はのんでいましたが、健康的な生活であり、自分が病気だと忘れかけたのは、人生でこのときくらいでした。しかしあまりに「普通のパート」の垣根が高くて、ついていけなくなり、三か月でやめてしまいました。
そのときから再発したままなのですが、なんとかなるものです。スーパーをやめたあと、私を迎えてくれたのは、病院の医師・作業所そして生活保護だったのです。
一人暮しの始めはつらいです。私は再発して六年間もたちますが、慣れました。自分がやらないと成り立たない一人暮しは、自立のチャンスでもあるのです。また、この家事のスキルは社会復帰してからも役立ちます。
お金のやりくりと自己管理がある程度できる人には「一人暮し」と「生活保護」をおすすめしたいです。いつまでも親がいると思っていると、なかなか自立するきっかけがつかめないでしょう。


通院と服薬は欠かせない

川北誠/三重県

精神科に通院して一二年。最初はうつ状態といわれ、今は統合失調症と診断名がついています。
最初のうつ状態は、抗うつ薬の服用により、すぐに回復し、医師の判断で服薬は中止しました。
でも、医師との信頼関係はなく、通院を勝手にやめて、環境の変化により再発しました。
そのとき一人暮らしだったため、誰にも相談せずにひきこもり、状態が悪化しました。ようやく家族に相談して、病院を転々として、今の主治医に出会い、少しずつよくなりました。今の薬を服用して九年です。
この再発から学んだことは、「通院・服薬の必要性」と「人とのつながりをもつことの重要性」です。でも、その必要性を心から理解できたのは、ずっと後になってからです。今でも、調子の悪いときはあります。悪い考えばかり浮かんでくるときは、早めにベッドに入ります。
今は睡眠薬も必要なくなったので、とにかく眠って、考えることをやめます。そして、一つ一つの出来事を主治医に報告します。薬が増えなくても、明確なアドバイスがなくても、報告します。経過をみてくれているので、必要なときに援助してもらえると思います。やっぱり、通院・服薬は必要だと思います。


生きる痛みを文章に

ERI/神奈川県

私は躁うつ病をもっています。最初は朝や昼間がとてもゆううつで、夜になるにつれてとてもハイテンションで、なんでもできてしまうような気分になります。そして眠れず、朝になるとゆううつになって、と一日のうちにはげしい波が出てきました。
薬で抑えていき、病状は落ち着いていきましたが、ストレスや忙しさ、治したいというあせりによって、次第に今の薬でも眠れない、生きるということがめんどくさい、と、とても悲観的になり再発していきました。
そんなとき、生きる痛みを文章にして家族に伝えるようにしてみました。そうして少しずつではありますがココロが溶けていくような気持ちになりました。形として残しておけば自分はあのときどんな風に苦しんで、つらかったのかな? とココロの具合がわかるので、調子が崩れてきているな、と思ったときは書いたノートを読み返して自分なりの予防をしています。
人それぞれ弱さの種類は違うけれど、ココロを病んでいるなら自分の弱さを知るチャンスでもあると思います。どんなに夜が暗くなろうとも、誰にでも届けられるあたりまえが届かなくても、苦しみのなかにある光、きっと未来に約束されるでしょう。
だから、うまく生きることができなくてもいいんです。