泣いたっていい、叫んだっていい(専門職)


こころの元気+ 2014年5月号特集より


特集9
泣いたっていい、叫んだっていい


澤登和夫
うつ専門カウンセラー

(さわと かずお):会社員時代に過労と心労がきっかけでうつ病と診断され、以後5年半にわたり重度のうつ生活をおくる。体もむしばまれ難病により大腸全摘出、マンションの最上階から飛び降りたことも。
心身ともに乗り越えた後、「以前の自分と同じような人の力になりたい」と、カウンセラーの道を歩み始める。
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マンションの最上階から

2005年8月、32歳のとき、ぼくはマンションの最上階から飛び降りました。
とにかく1秒1秒苦しくってたまらない、そこから逃れたい気持ちでした。
ボクシングのパンチを、これでもかこれでもかと浴びているような状態。
そこから逃れたい。
楽になりたい。
ゼロからやり直したい。
その気持ちが、ぼくを後押ししました。

がんばればがんばるほど…

ぼくがうつ病と診断されたきっかけは、サラリーマン時代の過労と心労です。
大学、就職とそれなりに順調に進んできたぼくは、27歳のときに会社を代表して関連会社へ出向しました。
ほぼ同時期に結婚し、周囲からは「順風満帆だね」と言われました。
しかし、その仕事は激務でした。仕事量が以前の10倍くらいになった気がするほどでした。
朝早く出社して、終電でも帰れずにタクシーで帰った日もありました。
1か月経たないうちに、頭がまわらなくなってきました。普段は10分で終わる仕事が1時間かかるようになりました。
朝は新聞配達の音で起きてしまい、布団から出るのがつらくて仕方なかったです。
初めは、「がんばれば何とかなる」と思っていましたが、がんばればがんばるほど体も動かなくなり、壁が高くなっていくのを感じました。

休みたいと言えなかった

抗うつ薬や睡眠薬をのみながら会社には行き続けましたが、薬がどんどん増えていくにもかかわらず、病状がよくならないことで心身ともに追いつめられていきました。
今考えれば会社を休職すべきだったかもしれませんが、休んだら自分が置き去りにされる気がして「休みたい」と言えませんでした。
さらには、この苦しみを誰にも話せないことで、孤立感と無力感がどんどん大きくなるのが自分でもわかりました。
たしかにきっかけは過労でしたが、小さい頃から何となく生きづらさを感じていました。
「失敗してはいけない」
「みんなと同じように普通でいたい」
そんな価値観が自分本来の気持ちを押しこめ、まわりの人と比較しながら生きていく自分をつくり上げていった気がします。

後悔と不安とイライラに襲われ続け

本当に苦しいとき、ぼくは涙が出ませんでした。
泣きそうな顔だったとは思いますが、これまでの自分を責め続け、とてつもない後悔と不安とイライラに襲われ続け、そこから逃れたい一心でした。
小さい頃大好きだったドラえもんのテレビを見ても、おもしろくないどころか、普通に楽しかった昔のことを考えてしまい、
「ぎゃー!」って叫んだことを覚えています。
気分転換しようと必死の思いで行った旅行では、友達といたときは気分が楽になったもののホテルの部屋では、
「死にたい」「死にたい」
と連呼しました。
当時、苦しい時間を少しでも減らしたいために気をまぎらわせようと書いた日記にはこう記してありました。
「とにかく、日々、1分1分、不安とイライラでどうしようもなく、頭がおかしくなりそうで、胸もはりさけそうに痛いが、この状態はとにかく我慢するしかないのか…」

泣いたっていい

9年前のあの日、ぼくは飛び降りましたが、たまたま骨折だけですみ、今ここにいます。
生きていてよかった、今は心からそう思います。
でもあのとき、人生をやめたいと思っていた自分も自分です。そんな自分がいたからこそ、今の自分がいます。
泣いたっていい、叫んだっていい、死にたいって思うことだってある、ぼくは心からそう思います。