経験談3


精神科を紹介された後、生活や医師との付き合いでは、薬物療法で苦労する場合が多いです。カウンセリング(精神療法)と薬物療法が中心の精神科での治療ではどんな苦労が起こるのでしょうか。「こころの元気+」の特集から見てみましょう。


特集3
けっこうみんな苦労する
いいお医者さんとの出会いまで


一緒に生きてくれる先生
茨城県 まゆかんさん

「お大事に、どうぞ」診察室を出るとき、I先生は希望にふくらんだ声でいつもこう言います。 I先生と私は初めて会ってから十年になります。その歳月は私たちの結びつきの証であり、ともに戦った記録です。
高校生の頃に精神疾患を発症した私は、さまざまな医師とさまざまな病名で治療をしました。 ある医師は診察中にカルテから目を離しません。言葉少なでぼそぼそと一方的に私の欠点を指摘します。私は毎回傷つくだけ。 またある医師は親子関係の歪みを指摘して、このままでは自殺すると言って強引にひとり暮らしをさせました。そしてつらかったできごとを患者同士で演じ、追体験するようすすめます。
また別の医師は、私の言動の矛盾点をたえずからかいます。親しみのつもりなのでしょうが、苦しみの只中で必死にしたことをそう言われてはつらいです。 I先生を紹介してくれたのは、私の高校の先生でした。同じ女性の医師であること、未治療のつらさから私は受診を決めました。 初診のとき私が話したことは、妄想も入っていたし話の流れも支離滅裂でしたが、I先生は少し悲しげな顔で注意深く耳を傾けてくれました。
その姿に私は初めて「人として尊重されている」という感じをいだきました。 I先生は医者ぎらいだった私に働きかけを続け、薬だけでものむ生活を支えてくれました。 やがて診察室で笑顔が出るようになりました。 つらいこと苦しいことのほかに、楽しいことや快いことにも目が向き始めたのです。 私のおもな症状は離人症でしたが、自称「体育会系文学少女」であるI先生は、世の中にはたくさんのおもしろいことや、やりがいのあること、気持ちのよいことがあるとぐいぐい私の後押しをしてくれました。
私はこれを受け、高齢者や視覚障害者のためのボランティアを始めました。 私たちはそのつど困っていることを話し合い、乗り越えられるよう努めました。 そして新薬が登場します。I先生はそれを大胆に処方してくれました。 自分に合った薬というさらなる後押しを受け、私はクローズでの一般就労を果たしました。 I先生は「一緒に生きて」くれます。 苦しいときは一緒に悲しんでは策を講じ、よいことがあると自分のことのように喜んでくれます。
いいお医者さんというのは「人間らしさを大切にできること」ではないでしょうか。 いいことばかりではないけれど、私は今が一番人間らしく生きていると感じています。


数々の経験の後に
埼玉県 市川左千子さん

現在5件目の病院で主治医は8人目です。うち3件の病院で入院しました。 最初の入院では薬の説明もないまま、多くの薬を投与され、行動は緩慢・口からはよだれをたらし、ろれつが回らない生活をおくっていました。私と同じ主治医だった人は、薬が多すぎて寝てばかり、トイレも行けずによくそそうをしていました。減薬をお願いしても叶うことはなく、副作用に悩まされていました。
2件目の病院は、いつもの病院が満床で急に入院した病院。 たった1週間の入院でしたが、主治医が誰だかわかりませんでした。入院するときも任意のサインをしただけで病室に入れられ、何も説明されませんでした。
3件目。ここは1件目の病院でドクター依存になってしまい診察を拒否されて、とりあえず薬のために見つけました。調子がよくないとか体調が変わったとかいうたびに薬が増えました。 その病院で1番人気のある先生で、待ち時間もすごく、朝5時に行ってもすでに待っている人がいました。そのときが処方された薬が1番多かった時期です。 リストカットもひどかった時期でしたが、それについては何も言いませんでした。あまりにリストカットがひどかったので、みかねた外科の院長が4件目の病院への紹介状を書いてくれました。
初診でうつ病と言われ、治療を受けていましたが、この4件目で双極性障害と診断され薬も変わりました。 しかし主治医からは何も言われず、カウンセリングの心理療法士に「あなたは躁うつ病なんだよ」と教えられました。 それまで医師の出す薬は副作用が出る以外はだまってのんでいたので、躁うつ病に変わったから薬が変わったとは考えませんでした。それでも毎食後にのむ薬は眠剤も多くて、同じ躁うつ病の友人に驚かれていました
この医師は、私が自殺未遂をしたことで「あなたのことはもう診たくない。自殺するような人を診るつもりはない。転院してくれ。紹介状は書く。本当はいやだが、次の病院が見つかるまでは診察と処方はしてあげる」と言われ、現在の病院に転院しました。
今の主治医になってから薬がグッと減りました。それまでは1包化されてないとたいへんな量だったのですが、今はシートでだいじょうぶです。それだけ余計な薬をのんでいたのだと自分でもびっくりします。 薬が減ってからは体調もよく、躁うつの波も穏やかになりました。 また今の主治医は減薬するばかりではなく、新しい薬を試すこともしてくれます。眠剤も2種類に減りましたが、体調によって睡眠状態も変わるので、細かく減らしたり増やしたりと調節してくれます。 また薬に頼るばかりでなく、自分でも生活のバランスをとることを教えてくれました。


私のこれから
兵庫県 しの丼さん

今の主治医に診てもらう前は、大学の保健センターに通っていました。 そこの先生はとても穏やかな方で、診察はていねい、薬の調合なども素人目にはそれほど問題はなかったように思います。ただ、私は先生のやさしさに甘え過ぎ、病気の症状は不安定なままでした。 卒業後に、今の主治医にかかるようになりました。 その主治医は、ときおり素っ気なくさえ感じる普通の表情で、「どうですか」と私を迎え、淡々と症状や日々の過ごし方などの近況を聞き、薬の説明をします。
そして特に他に話すことがなければ、「次の診察はいつにしますか」と次の患者さんに診察が移ります。 私はこの一連の診察に当初さびしさや不安をいだいていました。 それはもっとかまってもらうことが治る近道だと思っていたからです。とにかく自分に共感してもらいたい、自分のことをわかってもらいたいと思ってばかりいました。
私と主治医との関係が変わり始めたのは、主治医のもとに通うようになって1年くらい過ぎた頃です。 その頃には私自身病気についての理解を深め、自分のことをよく見つめるようになっていました。 また、短期のアルバイトをしたり、 .家族と外出したりと、体調が安定しているときには積極的に外に出るように心がけていました。
そのような私の変化を察知すると、主治医はいつもと変わらぬ表情で、どのような活動を最近するようになったかをききながら、「またできるといいですね」などと笑顔で言ってくれるようになりました。 それがたまらなくうれしく、「次回の診察でも先生に喜んでもらえることを言いたい」と、徐々にさまざまなことに取り組むようになりました。
主治医に出会ってから、形ややり方は違えど、今後も目標や希望を持って生きていけると感じられるようになりました。自身の思いが大事なのだということも教えられました。 精神疾患は気の持ちようでどうにかなる病気ではありません。
けれど自分の人生の舵をとるのは自分自身です。 体調が回復傾向にあるとき、少し気分が上を向きそうなとき、そこからどう進むかは自分次第です。そのことを主治医は自然と伝えているのかもしれません。「そこからはあなた自身の足で歩きなさい。私は黙って見守っているから」と。 診察に行くとき、今でも「先生の今日の機嫌はどうかな」と気になり、名前を呼ばれるまで緊張します。
そして主治医のいつもどおりの「どうでしたか」から始まる診察に、私の「これから」が重なるのです。


こころの元気+73号 特集より