新型コロナウイルスの院内クラスターを経験して考えたこと 小林和人


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新型コロナウイルスの院内クラスターを経験して考えたこと

著者:小林和人(山形県)医療法人 山容会 山容病院

これまで20年近く精神科医としてやってきて、差別や偏見というものを少しは理解できている気になっていました。
しかし新型コロナウイルスのクラスターを経験して、私はまだわかっていなかったと痛感しました。

当院で最初に新型コロナが発覚したのは夜勤職員でした。体調不良を訴えたため、すぐ早退してもらいました。
その後、発生病棟の全患者さんと病院全職員に対してPCR検査を行いました。
何件か陽性反応が出たものの、幸いなことに発生病棟の関係者に限られており、この結果により全体像がわかり安心につながると思いました。

次から次に…

しかし実際には、理不尽なことが次から次に始まったのです。
職員の家族が出社を拒否される、習いごとに子どもを連れていけない…。
子どもが学校に行けるのだろうか、子どもを保育園に預けられるだろうかという不安。
医療従事者だって生活があります。
働くことの前提になる家や家族が危機に瀕しました。
そのストレスの中で危険な業務、不慣れな感染症対策をするのは二重三重の苦労でした。
「私はコロナが出た病棟の勤務ではない」と説明しても、職員どころかその家族でさえ社会から隔絶されそうに…。

ウイルスは、精神疾患や放射能と同じく目に見えないから偏見の対象となりやすいのです。
自分達がかかりたくないという気持ちはわかるけれども、実際にかかれば、医療のお世話になるのではないでしょうか。
看護師が足りないから地域に誘致するというけれども、まずは、今働いている人を大切にすべきではないでしょうか。
もしも看護師をめざす人達が減ってしまえば、将来の看護師を減らすことになります。
非常事態の中で多くの矛盾が噴出してきたのです。
そして、そのエネルギーの矛先が私達病院職員に向かうのではないかという恐怖がありました。

重なる姿

このようなことを考えるうちに、精神疾患に苦しんでいる人達と自分達の姿が重なりました。
呉秀三(くれしゅうぞう)先生の言葉を引き合いに出すまでもなく、病気をかかえることのほかに、きびしいことがたくさんあるわけです。
「山容病院で働いています」と言いにくい、打ち明けると不利益なことが待っているのではないか、隠して過ごしたほうがずっと楽なのではないかとのささやきが聞こえてきました。

でも私はこれまで、統合失調症の病名を積極的に告知してきたし、病名をオープンにしても自分らしく生きていける社会をめざしています。
そのような信条で医療を行う私にとって、現場でウイルスと戦う者達が本当のことを言えないというのは実に嘆かわしいことでした。

私が行ったこと

だから多くの人達に実情を伝えたうえで、ポジティブな情報を積極的に発信しました。
ネガティブなやりとりの応酬ではなく。
情報発信としてSNSを積極的に活用しました。
ソーシャルメディアをうまく使えば多くの人とつながり、自分達のリアルな状況を発信できます。

理不尽なことを言ってくる人もいるけれども(何で感染症を起こしたんだ、裁判してやる、なんて電話もかかってきた!)、その人に反論したいけれど、まずは支援してくれる人とつながろうという試みを続けました。

たくさんの支援で

支援の輪が広がり、モンテディオ山形(Jリーグ)のホーム最終戦セレモニーで私からのメッセージが読み上げられ、スタジアムのサポーター達が医療従事者への感謝の拍手をしてくれました。
酒田駅前の大きなクリスマスツリーで高校生達が感謝のメッセージをつのってくれました。
歴史ある日和山公園の灯台がライトアップされました。
たくさんの人からメッセージ、お花、支援物資をいただきました。
それによって皆が笑顔を取り戻し、最後までがんばりぬいて、短期間でクラスターは終息しました。
勇気を出して声を上げれば必ず助けてくれる人がいます。
最初の一歩を自分で踏み出すことが大切です。
皆さんも、それぞれたいへんなことをかかえていると思いますが、小さな一歩でよいので、できることからまず始めてみましょう。

 

※お知らせ:このページの著者、小林和人先生の新連載「減薬という旅の彼方に2 頼りすぎない、恐れすぎないために正しい知識を」が5月号(171号)から始まります。

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