~第6回リリー賞受賞者 佐野卓志さんの活動~
「第6回精神障害者自立支援活動賞(リリー賞)」(くわしくは「お知らせ3」をご参照ください)を受賞した愛媛県の佐野卓志さんの活動をご紹介します。佐野さんは、松山市内で、NPO法人ぴあルーテル作業センタームゲンを創設し、長年にわたって、活動をおこなってきた方です。その日常を取材しましたので、ご一読ください
~第6回リリー賞受賞者 佐野卓志さんの活動~
街の憩いの場所 NPO法人ぴあ「地域活動支援センタームゲン」
ムゲンの朝はなんとなく始まる
「おはようございま~す」朝10時少し前、利用者がぽつぽつとドアを開け集まってくる。
愛媛県松山市、松山城下の閑静な住宅地に「NPO法人ぴあルーテル作業センタームゲンがある。平屋建てに黄色いテント屋根が目印のこの作業所の利用者は現在30人。
コタツ、テーブル、ソファーそれぞれが思いおもいの場所に座り一日が始まる。テレビを見る人、ソファに座る人、裁縫の作業を始める人、おしゃべりする人、みかんを食べる人…。
「ムゲンはそれぞれがくつろぎ好きなことをすることを保証している町の中のみんなの居場所。まあ世間から言えばここは番外地ってところかな」と笑うのは代表の佐野卓志さん(56)だ。
佐野さんの弟の秀樹さんもタバコ部門の管理を行って一緒に活動している。
佐野さんは、今はとても元気に見えるが、20代で統合失調症にかかり現在も薬をのんでいる当事者だ。「今の僕の状態は、晩年寛解っていうのだと思う。若い頃はエネルギーが高かったから、はげしい幻聴や幻覚もあってたいへんだった。基本的に性格がアクティブなほうなので、いろんなところに飛び出していって行動するほうだったから、ストレスをためて再発につながった」と当時を振り返る。
台所でゆで卵を煮ながらインタビューに応じる佐野さん。
プレッシャーに耐えていい子を演じた幼少時代
内科医の長男として育った佐野さんだが、幼い頃から、医者になって医院の後を継げという周囲からの無言のプレッシャーを感じていたという。
「幼年期の僕はとても落ち着きのない子どもで、常にいろいろなところに気が散り、動き回るタイプで、今で言うADHDつまり、発達障害を持った子どもだったと思っています」
そんな佐野さんを、なんとかしつけなければと考えたお母さんのきびしすぎる教育方針も幼い佐野さんを傷つけたと話す。親の期待に応えようといい子を演じ続け、松山市の中高一貫高を卒業した佐野さんは東京での1年の浪人生活を経て、北里大学の医学部に進学したが、対人関係がうまく築けないことも、慣れない都会での孤独な生活と重なり次第に追い詰められていった。特に浪人時代のさびしさは一生忘れられないほどのものだったと振り返る。
20歳の時に統合失調症を発症し、結局、医学部を退学することになった。九州大学病院精神科に4年間入院し、入院3年目には入院しながら福岡工大電子工学科に通学し、市内の電子関係の会社に就職したり、さまざまなアルバイトを繰り返す。29歳のときにコンピュータのプログラマーをはじめるが、過労により30歳で統合失調症が再発してしまう。
当事者の視点から町の中の居場所づくり
佐野さんは自身の入院経験から、「町の中に障害のある人が安心して集える場所がいる」とその必要性を強く意識し始める。
障害者の友人ら数人で作った作業所で廃品回収やバザーを通じて自己資金150万円を貯め、35歳のとき、精神障害者が運営する古本屋「障害者自立の店ムゲン」をオープン。しかし、資金難から、1992年この店はうまくいかなくなる。この年、ムゲンを父親の医院の敷地にある建物に移転して運営を再開することになった。
行政に相談に行っても相手にされない状態が続いていたが、1996年当時お世話になっていたルーテル教会の牧師や佐野さんのお父さん、妻の波津子さんらと一緒に公的援助を求めて行政交渉をスタートしたことで、1997年には精神障害者作業所として、国、県、市から公的援助を受けられることが決まった。この時、名称を「ルーテル作業センタームゲン」に変更する。2004年佐野さんは精神保健福祉士の国家資格に合格、2006年には地域活動支援センターとしてNPO法人となった。
作業所を運営し、ピアサポートを行うにあたって精神保健福祉士の視点は生かされているのかと質問してみると、「当事者の立場と、精神保健を勉強して当事者を支援します、という支援者の立場は、当事者の僕自身としてはなんだか相容れないものがある。精神の病気がその人を全部覆っているわけじゃなくて、その人のコアにある人生の一部分に病気がちょっとあるだけなので、資格ということより、人生を理解し、応援する力みたいなものがあれば、町の普通の人だって良い支援者になると思う」と佐野さんは思いを率直に語った。
20ルーテル作業センター ムゲン。黄色い看板が目印だ。
友達の家に呼ばれたみたいなお昼ご飯の風景
インタビューがスタートして約1時間、11時になると佐野さんは「お昼を作らなきゃならないから、ちょっと中断ね」と笑い隣室の台所へと向かった。今日のメニューはかた焼きそばだという。佐野さんは、大きなまな板を出し、大量の野菜を手際よく切っていく。大なべで、のんびりと肉や野菜をいためて11人分の中華風のアンを作る。お皿に盛ったやきそばに野菜たっぷりのアンをかけて、さあ完成。
「お昼できたよー」「はい、お箸これ使って」「お酢かけるとさっぱりしておいしいよ」「いただきます」いつの間にか集まった人々が、テーブルを囲んで楽しそうにランチを食べている。メンバーのランチは1回250円。お昼時にやってきて、ランチだけ食べて帰るのも自由だ(ランチは4月からは無料になった)。
このほかに、週1回ソフトバレーボールの練習もあり、バーベキューやカラオケ、お誕生日会も行う。「おしゃべりするだけでもOK、寝転がっていてもOK、癒される場所であることが大切」と佐野さんは運営のポリシーを語る。食事は支度の都合上、予約制だが、急に来た人でも温かく迎える家庭的なムードが魅力だ。
スーパーではちゃんと目玉商品をチェックする佐野さん。
古い着物から新しい製品を生み出す
朝一番に届いた宅急便を丹念にチェックしているのは、佐野さんの奥さんの波津子さんだ。
「これほど強い女性は見たことがないです。僕は全部いうことを聞いちゃいます! はい」と佐野さんは笑顔で奥さんを紹介する。これは当然のろけだ。
段ボール箱のなかに入っているのは、古い着物。ムゲンではこの着物を原材料にさまざまな製作物をつくって販売している。
寄付された着物は、アロハや洋服に仕立て直すもの、ほどいてからその布地を裂いて、裂き織りと呼ばれる織り物の素材にするもの、お雛様などの着物に仕立てるものなどに波津子さんが分類し、まずクリーニングに出したり、洗濯したりしてから、加工するという。
作業所で、リッパーという専用の道具を使って古い着物をほどく作業をする人がいる。
ここに通って1年になるという30代のA子さんはそれまで統合失調症で自宅にずっといて両親としか話をしなかったが、愛媛新聞の記事を見てムゲンを訪ね、今はおもに着物ほどきの仕事をしている。「着物ほどき、布地を裂くこと、洗濯、どれも簡単ではないけれどみんな好きです。友達ができたことが何よりうれしい」と話す。
2年前から通っている30代のY男さんは現在調子を少し崩したため昼食サービスだけを利用しているが「自分の裂いた布地からできたコースターやマフラーが売れたときに仕事の喜びがあります」と話してくれた。
ヤケドの後遺症があり帽子を目深にかぶったT子さんもインタビューに応じてくれた。
「うつですね。手術を24回もし、手も足も不自由で目も緑内障でよく見えないのですが、病院のデイケアからここを紹介されてくるようになりました」とT子さん。街では、人々の心無い視線や言葉で傷つくことも少なくないと話すが、「ここの人はみんなやさしいので安心して通えます」と、その胸中を打ち明けてくれた。
機織室で機織りについて説明する佐野波津子さん
ノルマなし! 締め切りなしが原則です
ムゲンの作業所は、佐野さんの生家である佐野内科医院の敷地内にあるが、医院の2階でかつて病室として使われていたフロアを利用して機織り室や裁縫室がつくられている。
機織り室には5台の機織り機があり、着物を裂いてつくった色とりどりの布地が置かれている。完成品の裂き織りの美しい色合いのスカーフやテーブルかけ、織った布でつくったバッグなども積み上げられている。これらは市内のデパート高島屋で販売されていて人気も高い。「人気はあるんだけど、受注生産ということになったらノルマに追われてみんな具合が悪くなるから、そういうのはここには、向かないの」と波津子さんは、さばさばと話す。
横で機を織っていた利用者のK男さんもこの話に手を止め、「そうそう、前にみんなノルマをこなそうと夢中になって夜まで働いたんだけど、次の日から体調を崩して誰も来なくなったよね」と苦笑している。1枚のマフラーをつくるのに約2週間がかかるという。
「こんな色がいいと思って裂いた布をアレンジしてみるとちっともイメージどおりではなかったり、逆に何気なくあわせたのがすごく素敵だったり、織物は本当に奥が深い。だから色合わせのアドバイスとかはできるだけしないで、つくる人の感性に任せています」と波津子さんは一点ものの作品の魅力をこう解説する。
ムゲンで製作された商品が魅力的なのは、専属デザイナーによるデザイン力と縫製技術も大きい。古い着物を現代風にアレンジしてアロハシャツやドレスをつくるセンスと腕の確かさがベースになっている。
寄付された着物の多くは絹織物で、きっとそれぞれの歴史を経てムゲンに集まってくる。それを布地に戻し、障害を持つ人々の手によってそれは細かく裂かれる。その裂かれた布地が再び機にかけられ、ゆっくり丹念に1枚の布地として仕上げられ、またそれが販売され誰かの服に戻っていく。そのプロセスを想像すると、これはただのエコやリサイクルではないような気がしてくる。
つむいだ糸が織られたり、ほどかれたり、裂かれたり、また織られたり、そんなプロセスが多くの人の手で支えられている。そこにある布地一枚が、まるでそれぞれの多彩な人生をつむいだ織物のようにも思えるのだ。
織った布を縫製したベスト。高島屋で販売しています。
これからのムゲン
「僕は精神医療や福祉の問題などには発言をしていきたいほうだけど、あまり交渉ごとに没頭するとストレスがかかって体調を崩すことを経験的に知っています」と佐野さん。現在の寛解状態を維持して再発なく老後を迎えたいと話す。
ムゲン自体も激動期を過ぎ、当事者の後輩の育成も始めている。「病者が病者中心の伝統を守り5年~10年後にはNPOを引き継いでいってもらえるよう準備をしている」と佐野さんは将来の展望を語ってくれた。
ルーテル作業センタームゲンムゲンのホームページ
http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/